永遠なる師弟の流れありてこそ、新しき創価の大潮流がつくられていく

2013年11月9日(土)更新:1
・『“困難解決力”こそ、よりよい人生を生きるうえで極めて大切な力』
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【新・人間革命 若芽 十四】
 山本伸一は、東京創価小学校の制服に身を包んだ児童たちを見ながら、教員たちに、感慨深そうに語った。
 「東京の創価中学・高校の開校から、ちょうど十年になる。この間に創価大学が開学し、大学院もできた。大阪には創価女子中学・高校も開校し、札幌には創価幼稚園も開園した。創価の人間教育が、各地で輝きを放ち始めています。
 そして、東京の小学校開校によって、創価の一貫教育が完成した。いよいよ、“創価教育”建設の第二期を迎えたんです」
 伸一は、小学校の設立を、創価一貫教育完成の、重要な事業と考えてきた。五年前(一九七三年)の四月に、大阪に創価女子中学・高校が開校すると、次は小学校を設立するよう提案。小学校の設立準備委員会が発足したのは、七四年(昭和四十九年)七月であった。
 創価教育の父・牧口常三郎と、その弟子である戸田城聖が、実際に教壇に立ち、最も力を入れて取り組んだのが初等教育であった。
 それだけに伸一も、小学校の設立に、一段と情熱を傾け、力を注いできた。
 大事業は、一代で成し遂げられるものではない。弟子が、さらに、そのまた弟子が、先師の志を受け継ぎ、創業の思いで、全身全霊を注いでこそ、成就されるものである。
 弟子は、師が道を開いてくれたからこそ、大業に連なることができる。師は、弟子が事業を継承してくれるからこそ、大願の成就がある。永遠なる師弟の流れありてこそ、新しき創価の大潮流がつくられていくのである。
 牧口は、自らの教育実践と思索をもとに、創価教育学の体系をつくり上げた。創価の一貫教育の学校をつくることは、牧口の、さらに、弟子である戸田城聖の念願であった。
 戸田は、牧口の創価教育学を、私塾「時習学館」で実践し、その成果を世に示した。しかし、それは、師の教育思想、教育実践の一端を実証したにすぎなかった。今、戸田の弟子・伸一の手で、幼稚園から大学院までの本格的な創価の教育城が完成をみたのである。
   (聖教新聞 2013-11-05)