「国際寛容デー」――多様性育む「万人尊敬」の哲学

2013年11月19日(火)更新:1
【社説】
 きょう16日は国連が定める「国際寛容デー」。1996年(平成8年)12月の国連総会で制定された、国際デーの一つである。
 この前年の95年11月16日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)総会で「寛容原則宣言」と「国連寛容年のためのフォローアップ計画」が採択された。
 仏法における寛容の精神を考える上で思い起こすのは、釈尊が「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」と説いたことである。

〈差異にこだわる心を克服〉
 池田名誉会長は米ハーバード大学での2度目の講演(「21世紀文明と大乗仏教」、93年9月)で、「見がたき一本の矢」とは“差異へのこだわり”であり、その矢を抜くこと、すなわち“こだわり”を克服することこそ、平和創出のための最大のポイントであると強調した。
 平和学者のエリース・ボールディング博士も、「平和を築くうえで何よりも大切なのは、差異を認め、讃えていける寛容の心です。人間は皆、それぞれに特別であり、しかも、かけがえのない存在と知るべきです」と指摘している。寛容とは、互いの差異を認め、多様性を尊重し合う人間主義の発露ともいえよう。
 御書には「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)とある。法華経に登場する不軽菩薩は、全ての人の仏性を信じ、「二十四文字の法華経」を説いて、礼拝して歩いた。無知の衆生は、彼を杖や木で打ち据え、瓦や石を投げつけたが、不軽菩薩はそれでも、“あなたたちは、菩薩の道を行じて、仏になる人たちである”と、誰に対しても分け隔てなく、礼拝行を貫いた。その根底にあったのは慈悲の心である。
 人を敬う。あらゆる人の生命に仏性を見る――。人間の尊厳、生命の尊厳を、自らの振る舞いを通して確立した不軽菩薩の実践に、仏法の寛容の精神が端的に示されている。なかんずく、私たちが進める「創価の対話運動」は、一人一人の心を開き、胸中に生命尊厳の哲学を打ち立てる戦いでもある。
 名誉会長は「人間であれ、文明であれ、絶えず自身の殻を打ち破り、開かれた心で他者と対話し、学び合う。この積極的な『寛容の精神』の躍動のなかに真の共生があり、平和があります」と述べている。私たちは「万人尊敬」の哲学を掲げ、真心の対話で友情を広げていきたい。
   (聖教新聞 2013-11-16)