すべては「一(いち)」から始まる

2014年1月10日(金)更新:4
【御書とともに 2〈18〉 名誉会長が指針を贈る】
 夫れ須弥山の始(はじめ)を尋ぬれば一塵(いちじん)なり・大海の初(はじめ)は一露(いちろ)なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至(ないし)十・百・千・万・億・阿僧祇(あそうぎ)の母は唯(ただ)・一なるべし (妙密上人御消息、1237ページ)

〈通解〉 そもそも、須弥山の始めを尋ねれば一つの塵であり、大海の初めは一滴の露である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、阿僧祇となっても、その生みの母はただ一なのである。


《同志への指針》
 壮大な世界広宣流布の新時代も、一人一人の「一歩」から始まる。一家でも一人が信心に立ち上がれば、未入会の家族も皆、必ず妙法の光で包んでいける。
 地域にあっても、自分自身が、わが眷属の一粒種となって、そこから広宣流布が具体的に広がる。この「誉れの一人」として、きょうも地道にして偉大な一歩を踏み出そう!
   (聖教新聞 2014-01-10)