太陽の励まし〈61〉岩手 他

2014年1月31日(金)更新:4
【師弟の大道を驀進 青年部が“正義”拡大月間】
●君よ! 貴女(あなた)よ! 創価の青年力で希望の未来を開きゆけ!――名誉会長の万感の激励を胸に、今、青年部が勇気の対話に挑戦。圧倒的な弘教・拡大で「新時代の2月闘争」を先駆する(2010年1月、東京牧口記念会館で)
《新時代の2月闘争から「3・16」へ》
●世界広布新時代を担う後継の青年が師弟の大道を驀進!
 青年部の「“正義”拡大月間」が2月1日から開幕する(3月16日まで)。
 広布史に燦然と輝く「2月闘争」。その淵源は、1952年(昭和27年)2月。当時24歳だった若き池田名誉会長が、蒲田支部支部幹事として指揮を執り、それまでの限界を大きく打ち破る「201世帯」の弘教を達成した。弟子の闘争によって、恩師・戸田第2代会長の75万世帯の願業への突破口が開かれたのである。
 月間では2月、全国各地で、多くの青年が集う座談会やセミナーをにぎやかに開催。「新時代の2月闘争」へ勢いよく打って出る。
 また、3・16「広宣流布記念の日」56周年を迎える3月には、各地の記念の大会に男女青年部が集い合う。
 期間中、弘教・拡大と人材育成に総力を挙げる各部。
 男子部は、各地で入卒式を行う創価班・牙城会の大学校生が先陣を切って弘教の波を起こす。さらに、小説『人間革命』『新・人間革命』の研鑽を通じて、学会史を学び、師弟の精神を心に刻みゆく。
 女子部は「池田華陽会御書30編」を学ぶ“華陽タイム”を軸に行学の二道に励み、入卒式を迎える白蓮グループを先頭に幸のスクラムを広げる。さらに、今春、未来部を卒業するメンバーや新入会の友を中心に、「池田華陽会」の第7期を「3・16」に結成する。
 男女学生部は、誕生5周年の学生部歌「先駆の英雄」、女子学生部歌「勝利の青春」を高らかに歌いながら、颯爽と対話を拡大する。男子はビクトリー・リーダーの輩出・育成に全力。女子は教学研鑽に力を注ぎ、福智の土台を築く。
 池田名誉会長は、今月の本部幹部会で呼び掛けた。
 「さあ、白馬のいななくように、朗々たる題目を轟かせながら、頑健な生命力を発揮して、万年の未来までの物語として語り継がれゆく、歴史的な一年を共々に飾りゆこう!」
 橋元青年部長は力を込める。
 「小説『新・人間革命』の『正義』の章を日々、生命に刻みながら、圧倒的な弘教と人材の拡大を成し遂げ、師弟共戦の勝利の金字塔を打ち立てていきます!」
   (聖教新聞 2014-01-31、以下も)


【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも)〈61〉 岩手】
《一人残らず幸福に!》
●あの日々も、空気は凍るように冷たかったが、同志の心は熱かった。
●1979年(昭和54年)1月11日から13日。池田名誉会長が1万人近くの同志を直接、激励した“水沢指導”から今月、35周年を迎えた。
 何度も自由勤行会を開き、友の幸福を祈った。参加した同志にマイクで語ってもらい、楽しくも真剣な語らいの輪を広げた。喜んでもらえるなら、とピアノも弾いた。
 指針を贈り、歌を詠んだ。広大な岩手の各地から駆け付けた友と、懇談し、記念撮影に納まった。
 「一つ一つが、黄金の歴史である。共戦の歴史である。生命の勝利の旅路であった」と、名誉会長はつづった。


〈祈りが現実に〉
●「会長が来ました!もう大丈夫です!」
 これが名誉会長の第一声であった。
 学会員をいじめ、服従させようとする悪侶と不知恩の反逆者。第1次宗門事件の陰謀は、二戸を中心に岩手各地にも広がり、同志の心をどんよりと覆っていた。
 名誉会長は、その暗雲を張らしたかったのである。
 最前列の壮年に向かって「私も、きょうは愛する岩手の一員です。したがって“会長”はこの方です!」と。
 登壇する幹部の話も、名誉会長の提案で、原稿を読まず、即興のあいさつになった。
 ヤングミセスの「くりのみ合唱団」には、参加者のリクエスト曲を合唱してもらうことに。
 「青い山脈」が伸び伸びと歌い上げられた。
 自由があった。家族の温かさがあった。衣の権威で抑えつけようとしても、命の底から湧き上がる喜びは、どうしようもなかった。
 そのころ、会館近くの一室で地元・水沢本部(当時)の女子部が唱題を続けていた。
 “先生にお会いしたい”一心で、合唱団を結成。練習もしたが、既に式次第は固まっており、参加は見送られた。それでもと、会合と同じ時間に、白いブラウスと赤いスカートを着て、女子部本部長宅に集っていたのである。
 運営役員として会館にいた本部長の小野寺由美子さん(圏副婦人部長)は、事情を当時の全国女子部長に打ち明けた。
 「私でよければお会いします」との返事。小野寺さんは皆に電話をかけ、会館に向かうよう伝えた。
 ところが女子部員たちは、すっかり“池田先生と会える”と勘違い。飛ぶように会館の2階まで駆け上がってきた。
 そこへ偶然、3階から下りてきたのが名誉会長だった。
 「皆、どうしたの?こんな時間に、その格好は」
 状況を聞いた名誉会長は「そうか。会合は終わってしまったんだ。でも、あすは自由勤行会にしたから、ご両親とか、ごきょうだいとか、皆、呼んでいらっしゃい!
 じゃあ、記念撮影しよう」
 大広間に移動して撮った一枚は、生涯の宝物となった。
 小野寺さんは語る。
 「ほとんど、先生に初めてお会いするメンバーでした。この時の出会いがあったから、会長を辞められた時も“先生は私たちの中にいる!”と思えました。
 人生の転機、広布の戦いのたびに、いつも思い起こす場面です」


〈皆いらっしゃい〉
 この記念撮影を、十数人の婦人が、ロビーから見つめている。
●感動の幹部会は終わったが、一緒に乗り合わせてきた女子部の部長がなかなか車に戻らない。様子を見に戻ったところで、この場面に居合わせたのである。
 じっと見ていると、「皆さん、いらっしゃい」と名誉会長が気付いてくれた。
 竹下さんは言う。「水沢に行く途中、『お会いできたらいいな』って話してて、それが実現したわけさ!うれしかったねえ」
●名誉会長が優しく語り駆けた。「お母さん、題目をあげてきれいになりましょう!」
●「心の内面が表に出るでしょ。今のオラではだめなんだあ、と反省してね」「それ以来、鏡を見て、題目あげて心をきれいにしてんのさ」
●ある日、水で顔を洗おうとした時、洗面器に自分の姿が映った。「その時、先生の指導を思い出した。どんなことがあっても生きなきゃ、と思ったもんね」
 84歳の今も、“友の力に”と励ましに歩く。
●寺本榮子さん(圏婦人部主事)は当時、支部婦人部長。会館に着くと、思いがけず、名誉会長と懇談できることに。
 「こんにちは!どこかで見掛けたことがあるなあ」
 寺本さんは内心、驚いた。女子部時代、部隊長に任命された時、部隊旗を手渡されたことがあった。
 入会動機、家族のこと、生活を支えるため働いていること。問われるままに答えた。
 「女子部の時は?」と名誉会長。部隊長だったことを伝えると「じゃあ、東京に通ったんだね」。
●「昔の部隊長さんたちは、交通の大変な中、頑張ってこられたんだ」。名誉会長は、居合わせた女子部の友に語るのだった。
 そして寺本さんに言った。
 「体に気をつけて。全て、信心根本に。家庭も大事、仕事も大事。どちらも大事にすることだよ」
 その後、夫・忠男さん(副本部長)の経営する会社が倒産するが、負債を全額返済。人生の坂を乗り越えてきた。
 「先生の激励があったから、どんな逆境にあっても立ち直れました」
 一家和楽で広布に歩む人生に、感謝は尽きない。
 「沿岸地域の方たちが来られました!」。その懇談が終わるころ、役員が告げに来た。
 名誉会長が立ち上がった。
●名誉会長は「晩ご飯は食べたの?」と食事のことを心配してくれ、子どもたちにも声を掛け、激励してくれた。
 「一緒に写真を撮ろうよ」
 きのうから、何回目になるだろう。ここでも記念写真に納まったのである。
 「先生と間近だもんな。原点だな。あれで信心の火、絶やすことはながったもんな」と潔さん。
 清子さんが答えた。「先生は、会った目の前の人を集中して励まされる。一人を大切にされんだな」
 「希望」と「開拓」の岩手――名誉会長が贈った永遠の指針である。
 やがて春は来る。冬は必ず春となる。岩手の同志は、「池田先生と共に」という希望を抱きしめて、きょうも広布の開拓に打って出る。