冬の厳しきを知り 生命(いのち)の喜びを知る

2014年2月7日(金)更新:3
【地域紀行 希望満つ白銀の大地 豪雪地帯 秋田・黄金本部】
 ワンマン列車の窓一面に、純白の光があふれる。
 上質の絹を敷き広げたような白銀の大地。雪帽子をかぶった木々が冬の空に腕(かいな)を広げ、屋根にぶら下がる氷柱(つらら)は鋭い光を放っている。
 車窓に流れる冬景色は、どこまでも美しく、やさしい。
 だが列車を降り、ものの数分で、雪国を思い知る。
 視界を遮る雪煙。ズボリと雪に沈む両足。スニーカーを通り越し、靴下にまで冷たい感覚が伝わってくる。手袋の中の指先もかじかみ、芯まで体が凍てつくのが分かる。
 北秋田市上小阿仁村からなる黄金本部を目指し、東京から約7時間。豪雪地帯の洗礼のなか、取材が始まった。
     ◇◆◇
 「今年は雪が、すぐねんだ(少ない)。いつもの半分ぐらいでねえが」
 さらりと告げた庄司克宣さん(北秋田勝利県・県長)が視線を送る道端には背丈ほどの雪の壁。返す言葉がない。
 標識の柱は雪に埋もれ、三角や丸の先端が、ちょこんと顔を出している。
 「冬は苦労が多い」と克宣さん。毎朝の雪かきや、凍結した道路の運転などで一日の疲労感が増す。それでも、除雪車などが無かった時代に比べれば、ずいぶん暮らしは楽になったそうだ。
 黄金本部でも特に雪深いといわれる比立内。「昔はよ、つまご(わらで編んだ雪靴)で折伏行ったなぁ」と松橋六郎さん(地区幹事)。地区の同志が「んだんだ」と頷く。
 かつては徒歩での山越えが当たり前。下りは肥料袋などの頑丈なビニール袋をソリ代わりに、身一つで雪道を滑り降りたというから、なんともたくましい。
 山でクマに追いかけられた話まで出てくる。胸まで埋まる雪道を、「子どもおぶって歩いだ」と、懐かしげに言う多宝のお母さん。母は強し、であるが――「その強さが、今も衰えねえな」と、六郎さん。どっと笑いが広がる。
 深雪(みゆき)の里には、底抜けの明るさと強さが刻まれていた。
     ◇◆◇
 昨年の支部総会に126人が集った森吉支部。うち63人が友人だったという。
 「また呼んでけれな」と好評を博す集いは、16人の知人と参加した石川妙子さん(婦人部副本部長)をはじめ、長年、地域に寄り添ってきた同志への信頼の決勝なのだ。
 民謡同好会で、唄に「心」を込めるのは佐藤ヨスさん(婦人部グループ長)。
 古くから暮らしのなかで歌い継がれてきた民謡。山仕事に農作業、過酷な労働のなかでも、人々は唄を口ずさみ、明るさを忘れなかった。
 自然の厳しさ。母のたくましさ。故郷の温もり。唄の中には、苦しくとも明日に生きる喜びがある。「その心を分かち合えれば」とヨスさん。
 「今日も一日、皆に笑顔があふれるように」と祈りを込め、歌声を届けている。
 パッチワークを通して友情を広げるのは、杉田理江さん(同副グループ長)。隔週で開いている手芸教室には十数人の仲間が集まってくる。
 そうした中には、独り身の高齢者も少なくない。自らも夫を亡くしている理江さん。友の浮かない表情を見れば、孤独な生活のわびしさが痛いほど分かる。時折こぼす悲しみを受け止め、教室外でもじっと耳を傾けてきた。
 そんな友が、ニカッと白い歯をこぼした時は、うれしくてたまらない。今では「手よりも、口が動きっぱなし(笑い)」と。皆の楽しそうな姿を見つめる時間が、何よりも幸せなひとときである。
 個性の輝きに満ちた森吉支部では、一人一人が、それぞれの形で、地域に寄り添っている。それも、「楽しむことを忘れずに(笑い)」と、わが故郷に尽くす喜びが皆に満ちあふれている。
 鈴木繁美さん(副支部長)が言う。「思いっきり、みんなで楽しく生きていかねば。世のため、人のため。それが創価学会だべな」


《泣いて笑って》
 マタギの里で知られる旧阿仁町に、佐々木里子さん(県婦人部主事)が越してきたのは新緑が薫る5月だった。
 知り合いもおらず寂しさが募る日々のなか、いつも励まし支えてくれたのは三浦カネさん(故人)だった。あふれる思いを泣きながら訴えた時も、柔らかな笑顔でやさしく包み込んでくれた。
 ある時は、猛烈な雪の中を2人で折伏に歩いた。深い雪を這うように進む里子さんと違って、スイスイと歩いていくカネさん。「雪にはまって抜け出せなくなったり、新品の靴もびしょぬれで。寒くて寒くて」。友人宅に着いて大泣きしてしまった。
 しかし、涙を流してまで訪れた熱意に打たれ、友人は入会を決意した。泣いて後悔した往路だったが、復路(ふくろ)は――雪道の苦労も忘れ、笑顔満開で家路につく2人がいた。
 阿仁での暮らしも、いつしか65年を刻んだ。山あり谷ありの幾春秋を越え、今なら心から思える。「ここは日本一の場所ですよ」
     ◇◆◇
 雪原(せつげん)と化した畑の中にビニールハウスが整然と並ぶ。
 藤嶋佐久栄さん(壮年部員)が営む「栄(さかえ)物産」。有機・減農薬栽培で、素材にそなわる本来の力強い味わいを引き出した野菜は、全国農業コンクールの農林水産大臣賞や名誉賞にも選ばれている。
 これまで、輸入で占められていた食材などに目をつけ、現地に赴いては研究を重ねてきた佐久栄さん。試行錯誤を繰り返し、秋田の風土に合わせた品を産出してきた。
 70歳を迎えた昨年も中国を3回訪問。青島(チンタオ)大学の教授と交流を結びながら、日本で成功例のない食品の試験栽培に精魂を注いでいる。
 そんな佐久栄さんの行動の活力は、「地域を良くせねばなんねえ」との一点。新たな産業を興(おこ)し、わが里を栄えさせてみせる――いぶし銀の男の挑戦は続いている。
     ◇◆◇
 満天満地(まんち)を白く染めあげる北秋田の冬。毎年、例外なく襲い来る豪雪にも、人々が下を向くことはない。
 冬の厳しきを知り、人の温もりを、強さを、命の喜びを知る。大地の輝きに負けじと美しさを放つ雪国の心――。
 凍てつく夜も、人々の瞳に映るのは、希望の明日だ。

   (聖教新聞 2014-02-07)