さあ、新たな人間復興の「2月闘争」を!

2014年2月7日(金)更新:5
【名字の言】
 金閣寺放火事件が起きたのは1950年(昭和25年)7月のこと。犯人は若い寺僧(じそう)であった。言わずと知れた三島由紀夫の『金閣寺』は、同事件に材を取った小説。一方、犯人と同郷だった作家・水上勉にも『金閣炎上』と題する一冊がある。こちらは綿密に取材を重ねて著したノンフィクションだ▼後者を開くと、当時の仏教界の実態がよくわかる。寺は多額の拝観料に潤い、住職は酒に溺れ、花街に遊ぶ日々。欲望にまみれた寺の内情を見て、犯人は僧として生きることが嫌になってしまったのではないか、と水上は推測している▼敗戦下、国民の生活は苦しかった。ところが坊主は、のうのうと暮らしている。民主化へと向かう時代にあって、庶民を食い物にする既成宗教界への反発は、必至であったろう▼52年(同27年)、民衆運動の新たなうねりが、本格的にスタートした。「2月闘争」である。「宗教のための人間」から「人間のための宗教」へ。日本の戦後史における、この人間復興運動の時代的意義は大きい▼今、世界広布の新時代を迎えた。平和創出への、一大民衆運動の開幕である。国籍・人種を超えて、笑顔と励ましの連帯が広がる。その世界史的意義は尊い。さあ、新たな人間復興の「2月闘争」を!(生)

   (聖教新聞 2014-02-07)