随筆 民衆凱歌の大行進〈2〉 二月闘争の誇り
2014年2月18日(火)更新:1
【随筆 民衆凱歌の大行進〈2〉 二月闘争の誇り】
けなげにも
寒風おそれぬ
英姿かな
新時代の二月闘争を!
立春を過ぎても、いまだ厳寒の続く中、わが地湧の同志は、「壁を破ろう!」と、紅梅の如く鮮烈な広布の情熱を燃やし、生き生きと対話に挑戦している。
あの地この地から届く、弟子たちの意気軒昂な奮闘の姿を、私は嬉しく、合掌する思いで伺う毎日だ。
北海道や東北、信越、北陸など“北国”のほかにも、今月は山梨をはじめ東京、関東などでも大雪が続いている。この冬の試練と闘う同志の労苦が偲ばれてならない。皆、体を大事に、絶対、無事故で――と、私は真剣に祈っている。
〈我ら折伏行の王者〉
「伝統の二月」の淵源となった立宗七百年の昭和二十七年(一九五二年)――この年の二月を前に、恩師・戸田城聖先生は、同志に和歌を贈ってくださった。
友どちの
集いも堅き
学会は
折伏行の
王者なりけり
この師子吼の如く、「折伏行の王者」の誇りに胸を張って、私たちは広宣流布の旗を掲げたのだ。
とともに戸田先生は、具体的に最前線の組織である「組」を中心に拡大を推進することを、学会全体の方針として打ち出されていた。
だが、この師の真意を、まっすぐに実現しようとした幹部がどれだけいたか。「組」では戦えないと決めつけ、これまで通りの活動に安住したり、ただメンバーを集めて叱咤して満足している者もいた。
戸田先生は「大白蓮華」の巻頭言で喝破された。
――信心の素晴らしさを、御本尊の偉大な功徳も教えないで、いくら号令しても人が動くはずはない、と。
一人ひとりが、「すごい信心だ」と確信を持てば、「ぜひ友人にも教えたい」と行動が生まれる。納得が喜びを生み、勇気を生み、新たな対話を生むのだ。
「組」中心とは、形式ではなく、第一線の学会員が主役となって、自信満々と行動していくことである。勇気の対話へ一人立つ友がいるところ、そこが“広布開拓の主戦場”なのだ。
ゆえに蒲田支部で私が徹して実践したことも、直接一人ひとりに会い、共に祈り、共に動き、共に戦うという最も地道な活動である。
◇
蒲田支部の二月闘争は、七十五万世帯の折伏への突破口を開いた。それは、いわゆる組織を動かした成果ではなかった。
この時、私は二十四歳の無名の青年にすぎない。
支部の壮年、婦人には、初対面の方々も多かった。
お会いして、誠実に語り合わずして、どうして信頼されようか。自分が真剣に戦わずして、どうして共に動いていただけようか。
だから私は勇んで飛び込んでいった。自身の悩みや宿命と必死に戦う人間群の真っ直中へ! かけがえのない一人ひとりの生命と向き合い、心に訴えた。人間革命と広宣流布の誓願に生き抜く尊き使命と喜びを!
この一対一の人間の結びつきを根幹として、新たな人材を見つけ、励ましを送り続けたのだ。
その結果、かつてない多くの友が折伏に挑戦し、同志の行くところ、集うところ、対話の花が咲いた。この一カ月、蒲田の同志が繰り広げた対話は、何千回にも及んだに違いない。
「新しい人」「新しい力」による「新しい対話」が爆発的に広がった。まさに地湧の底力によって、壁は破られ、「新しい歴史」の扉が開かれたのである。
「一人の人間の一つ一つの偉大さによって人類は新しくなり、より偉大になる」とは、オーストリアの作家ツバイクの言葉である。
この二月闘争で入会した二百一世帯の一人である丈夫(ますらお)は、その翌日から、早速、折伏を開始した。
共に学んだ「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(御書一0八八ページ)との一節を命に刻み、挑戦を重ねていった。罵倒して水を浴びせてきた相手もいた。それでも題目を送った。
しばらくして再会すると、その人は入会していた。当時のことを深く詫びつつ、「折伏してくれて、本当にありがとう!」と最大に感謝を語ったという。
《一人を大切に!地湧の底力を開け 元気で希望と歓喜の座談会を!》
〈人間のための宗教〉
「一人を大切に!」――これは、日蓮大聖人が貫かれた御精神であられる。
数々のお手紙を拝せば、直接の対告衆の門下への御指導はもちろんとして、配偶者へのお心遣いがあり、子どもや親族への個々の励ましもなされている。
ある婦人の病気の報告には、「尼ごぜんの御所労(ごしょろう)の御事(おんこと)我身(わがみ)一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」(同九七八ページ)とまで激励されている。徹して、一人に寄り添い、慈愛を注がれているのだ。
この御本仏のお心のままに、友と苦楽を分かち合い、築き上げてきたのが、創価の人間共和の世界である。
その中から今、二十一世紀の希望と光る新たな人材群が躍り出ているのだ。
見よ! 未来創造の熱と力にあふれた青年たちの、なんと頼もしいことか。
今、女子部の白蓮グループの皆さんが全国の各地で行っている入卒式も、なんと清々しいことか。
わが創価学会は、どこまでも「一人」を大切にし、「一人の人間」が持つ「世界を変える力」を限りなく発揮していく。これこそが「人間のための宗教」であり、「民衆の側に立つ宗教」であるからだ。
◇
今月、新潟の佐渡では、“我らのふるさとを幸福の楽土に”と青年主張大会を開催した。郷土を愛する若人の真剣な発表に共感の輪が大きく広がっている。
この地で、大聖人が魂を留められた「開目抄」に、次の文(もん)が引かれている。
「慈無くして詐(いつわ)り親しむは是れ彼が怨なり」「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(同二三六ページ)
友の幸福を真剣に願うからこそ、大仏法の正義を、臆さず、堂々と訴えていく。これが折伏精神だ。
戸田先生は「折伏というものは苦しんでやるものではない、楽しくやらなければなりません」とも教えてくださっている。
楽しくやろう。肩肘張る必要はない。心軽やかに、どんどん人と会い、信心の喜びと確信を語ることだ。そこに自身の人間革命の修行も、広宣流布の拡大も、全部、含まれている。
「自他共の幸福」を目指して折伏に挑んでいること自体、何よりも尊貴で充実した人生なのである。
〈仏法は「人の振舞」〉
先般、原田会長が、出席した会合で聞いた新入会の立派な壮年の体験を、感動を込めて伝えてくれた。
入会のきっかけは、三年前の東日本大震災の被災地で目の当たりにした学会の医師や看護師はじめ、創価の友の献身の姿であった。
「その言葉は苦しんでいる人びとの心に染み入る誠実さに溢れていました。その姿を見る度に、私は何度も目頭が熱くなりました。疲れを知らない情熱の根拠を知りたいと思いました」
自分の生き方を根底から変えようと入会。早速、折伏した二人の友人と共に黄金の人生を歩まれている。
御聖訓には、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(同一一七四ページ)と仰せである。
創価の友の「人の振舞」ほど、雄弁に仏法の素晴らしさを物語るものはない。
友のため、地域のため、社会のため、真心を尽くす、わが同志の「振舞」の積み重ねが、知らず知らずのうちに、無数の仏縁を結び、育み、広げてきたのだ。
時代は一段と我らの価値創造の行動を求めている。
「学会は永遠に折伏の団体なり」――この誉れを胸に、声も惜しまず対話を進めようではないか!
「声仏事を為す」(同七0八ページ)である。
◇
二月闘争の誇りも高く、座談会が、全国各地でにぎやかに行われている。
信心の歓喜と確信がみなぎる座談会を! 心と心が通い合う対話を! わが地区、わがブロックの和楽と躍動の姿が、そのまま世界広布新時代の前進である。
「御義口伝」には、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(同七六一ページ)と説かれる。
参加されたすべての方々が主役である。来て良かったと、皆が喜び合い、励まし合っていける、春を呼ぶ希望の座談会を、元気いっぱいに繰り広げていこう!
勇敢に
いかなる壁も
打ち破れ
広宣流布の
君よ先駆を
(聖教新聞 2014-02-18)