唱法華題目抄
或は上の如く行ずる事なき人も他の行ずるを見てわづかに随喜の心ををこし国中に之の経の弘(ひろ)まれる事を悦(よろこ)ばん(P1)
悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由(よし)をして法華経を我等が機に叶い難き由を和(やわら)げ申さんを誠(まこと)と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん(同)
文の心は悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚痴の人の心を取って善心を破るといふ事なり(P7)
権教に心を移して僅かに法華経に結縁しぬるをも翻(ひるが)えし又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に師弟倶(とも)に謗法の者となる。(P8)
仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か(P9)
今法華経は四十余年の諸教を一経に収めて十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に一仏・一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり、故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり諸仏・諸教の題目は法華経の所開なり妙法は能開なりとしりて法華経の題目を唱うべし。(P13)
仏は悲の故に後のたのしみをば閣(お)いて当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべき悲み給いて座をたたしめ給いき、たとえば母の子に病あると知れども当時の苦を悲んで左右なく灸(やいと)を加へざるが如し、喜根菩薩は慈の故に当時の苦をばかえりみず後の楽を思いて之を説き聞かしむ、たとえば父は慈の故に子に病あるを見て当時の苦をかへりみず後を思ふ故に灸を加うるが如し(P15)