「新・人間革命」 学光

「新・人間革命」 学光

牧口は、この制度の根本的な意義は、「学習を生活の準備とするのではなく、実際生活をなしつつ学習生活をなすこと、即ち学習生活をなしつつ実際生活もすることであって、(中略)一生を通じ、修養に努めしめる様に仕向ける意味である」と述べている。生涯が学習である。生涯が勉強である。それが、人間らしく生きるということなのだ。


知識の吸収は、進展しゆく社会をリードするうえで、必要不可欠な条件ではあるが、知識それ自体は、創造性とイコールではない。内なる可能性の発露こそが教育であり、知識はそれを引き出す起爆剤といってよい。では、知識を創造へ、生き生きと転ずる力とは、いったい何か――山本伸一は、メッセージのなかで論じていった。「それは、社会を担う人間としての自覚と責任であると申し上げたい。人びとの現実生活を凝視し、その向上、発展のために、習得した豊饒(ほうじょう)な知識を駆使するなかに、創造性の開花があるといえると思うのであります」


さらに、通信教育で学業を全うすることの困難さを語った。この当時、入学者に対する卒業生の割合は、一割にも及ばなかった。しかも、卒業までには、五、六年を費やすのが普通であった。だからこそ、伸一は、祈るような思いで訴えていった。「学識を深める道は、日々の粘り強い研鑽の積み重ねのなかにのみあることを銘記していただきたいのであります。仕事や家庭の事情等、さまざまな問題に直面するでありましょうが、五年かかろうが、十年かかろうが、断じて初志を貫き、全員が卒業の栄冠を勝ち得ていただきたいのであります。」
卒業は、一つの結果にすぎないかもしれない。しかし、その目標の踏破(とうは)のなかに、人間完成への確かな歩みがある。一歩一歩の前進なくして、栄光の走破はない。


「皆さんの大きな励ましとなり、力となるのが、同じ志をいだく友人との交流であります。相互に連携をはかり、切磋琢磨していっていただきたい。大学で学ぶ意味の一つは、人生の友を得ることであります。互いに啓発し合える友の存在は、何にも増して貴い財産であります」
敢然と一人立って、苦難の壁に立ち向かう覚悟なくしては、何事も成就はできない。そして、その決意を、さらに堅固なものにしていくのが、友の存在である。
アメリカの大思想家エマソンは言う。「友人と共にあるとき、私たちは容易に偉大な人間になれる」