蓮盛抄

蓮盛抄


心は是れ第一の怨なり此の怨最も悪と為す此の怨能く人を縛り送つて閻羅(えんら)の処に到る汝独り地獄に焼かれて悪業の為に養う妻子兄弟等・親属も救うこと能わじ(P152)


「願つて心の師と作つて心を師とせざれ」云云、愚癡無懺(むざん)の心を以て即心即仏と立つ豈未得謂得・未証謂証の人に非ずや(同)


増上慢の比丘は将に大きょうに堕ちんとす(同)


仏は一切衆生に於いて主師親の徳有り若し恩徳広き慈父をふまんは不孝逆罪の大愚人・悪人なり(同)


若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり(同)


自語相違(P153)


向上を疑つて以てきょう慢に住し未だ妄心を治せずして見性に奢(おご)り機と法と相乖(そむ)くこと此の責も親(ちか)し旁(かた)がた化儀を妨(さまた)ぐ其の矢転(うたた)多し(同)


言と心と相応せず豈天魔の部類・外道の弟子に非ずや(同)


悪知識を捨て善友に親近せよ(同)


師に植わざれば邪慧日に増し生死月に甚しちょう林に曲木を曳くが如く出づる期有こと無けん(同)


近きを見る可からざること人の睫(まつげ)の如く遠きを見る可からざること空中の鳥の跡の如し(同)


妄冥(もうめい)にして見る所無し大勢の仏及び断苦の法を求めず深く諸の邪見に入つて苦を以て苦を捨てんと欲す(同)


三惑未断(同)


如来の言教を軽んずる返す返す過(あやま)てる者か、疾(やまい)の前に薬なし・機の前に教なし・等覚の菩薩すら尚教を用いき底下の愚人何ぞ経を信ぜざる(同)


時代の妖怪なり(P154)


汝が立儀一一大僻見(びゃっけん)なり執情(しゅうじょう)を改めて法華に帰伏す可し、然らずんば豈無道心に非ずや。(同)



(2月1日更新)