十四誹謗

聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候(P1381)


但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり(P1382)


【御指導】
日蓮大聖人は、松野殿が質問された『聖人が唱えられる題目と、私たちが唱える題目と、その功徳に違いがあるのでしょうか』との疑問に対して、『違いはない』とされたうえで、『ただし、法華経の心にそむいて唱えれば違いが出てくる』と教えられている。
その「法華経の心にそむく」ことを、具体的に述べたのが十四誹謗である。
松野殿御返事では、妙楽大師の「法華文句記」の次の文を引かれて、十四誹謗を明かされている。
『悪因には十四の謗法がある。一にきょう慢、二にけ怠、三に計我(けいが)、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙(ひんしゅく)、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に僧善、十三に嫉善、十四に恨善である』と。
この法華文句記の文は法華経臂喩品の「若し人は信ぜずして、此の経を毀謗(きぼう)せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん」(法華経P189)との有名な文を含む一節を釈したものである。法華経、すなわち「正法」への誹謗と、「正法を信じ行ずる者」への誹謗が、ともに地獄の因となることを明かしている。(1990-12-03)