「信心をやりきれば、永遠に仏である」

此の身を法華経にかうるは石に金(こがね)をかへ糞に米をかうるなり。(P910)



【御指導】
われわれは仏法に命をささげている。文句など言う資格はない。必要もない。日蓮大聖人は『この身を法華経にかえるのは、石を黄金にかえ、糞を米にかえるようなものである』――石を金にかえる、と仰せである。
仏法に命をささげることは、わが身を“黄金”にかえることである。どうしようもない、つまらない自分が、光り輝く最高の生命になる。永遠に、そうなる。だから、本気になって信心しなさいと仰せなのである。
長い間ではない。今世は、あっという間に終わってしまう。その間、信心をやりきれば、永遠に仏である。だから今、元気なうちに、思う存分、戦ったほうが得である。病気になってから、「もっと頑張っておけばよかった」と後悔している人もいる。
だれもが、いつかは死ぬ。この事実を深刻に自覚すれば、人生を無駄にはできない。短い人生を、最高に価値あらしめるためには何をすべきか。それを知っているのは私どもだけである。この人生で、自身の仏界を固めきって、永遠の幸福境涯を築くのである。そのための「信心」であり、「仏道修行」なのである。(1996-09-26)




これまでの謗法によって積んだ悪業さえも、今世で必ず転換していける。心を入れ替え、決定した「信」に立てるか否かにかかっている。



2月13日更新