謗法:信心利用

【御文】
何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、漆(うるし)千ばいに蟹(かに)の足一つ入れたらんが如し、毒気深入・失本心故(しっぽんしんこ)は是なり(P1056)


【御指導】
『千杯ものたくさんの漆(うるし)も、わずかカニの足一つ混じったたけで、性質が変わってしまう』
個人においても、和合僧の組織にあっても、「信心」という一点では、いささかの“濁り”も許されない。わずかでも不純なものがまぎれ込めば、信仰の世界全体が侵され、変質し、やがて堕落してしまうからだ。(1989-10-01)


必ずや所願満足の人生、永遠なる幸福境涯を、自然のうちに会得していけるのが、妙法の功徳なのである。しかし、その功徳も、信心いかんにかかっている。
日蓮大聖人も『どのように法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちる。それは、千杯の漆にカニの足を一つ入れて、漆をだめにしてしまうようなものである』と仰せである。
どんなに真剣に、まじめに信心しているようであっても、謗法があれば、すべての功徳を消してしまう。それは、わずかの青酸カリでたちまち死んでしまうようなものである。(1990-02-20)



3月8日更新