「悪知識を捨てよ!善友に近づけ!」

【御指導】


■悪知識、すなわち信心を妨げようとする悪友について述べられた御聖訓を拝したい。
『悪知識というのは、甘い言葉で語り、いつわり、媚(こ)び、言葉たくみに、愚かな人の心を取って、善心(信心)を破る』(P.7)と。
そして涅槃経等の文を引かれ、「悪象」、今でいえば車、戦車などに殺されても、「身」を破るだけで、「心」までは破れない。「悪知識」は両方とも破り、地獄に堕とすと。
ゆえに、何より悪知識を恐れ、悪知識を見破り、遠ざけよと説かれている。
『“味方のような顔をして近づき”信心を破る。言葉たくみに何とか退転させようとする。それが悪知識である。この「悪い友」こそ、幸福と成仏の最大の敵なのである。』
反対に、「信心」を教え、ともに「行学」を深め、正法流布に仲良く進んでいく。これが「善き友」(善知識)である。善知識は「法」が中心である。私どもでいえば、御本尊と御書を根本とする。悪知識は、「自分」が中心である。ゆえに、その時々によって言動が違ってくる。
いずこの国であれ、広宣流布が進めば進むほど、そうした悪知識も多く出てくることは、経文と御書に照らして当然である。見破り、打ち破ってこそ、広々とした、朗らかな、晴れやかな“皆の幸福の緑野(りょくや)”が開けてくる(1991-06-18)


■悪知識とは、善知識の反対で、ウソつきであり、人々をだまし、良い心を壊す存在である。そして悪の方向へ、不幸の方向へと、人々をおとしいれ、正しい仏法の実践をなんとか妨げ、邪魔しようとする。こうした悪知識を鋭く見破り、だまされることなく、どこまでも善知識を求めていくことがいかに大切であるか、御書には繰り返し示されている。(1991-07-28)