okaremon7さんへの御返事

〈6月3日更新〉

okaremon7さん、コメントをありがとうございます。
正邪を明らかにするため、先生のため、同志の方々を守るため、また私自身のためにも、コメント欄ではなく、こちらで返信させて頂きますことを御理解ください。

>okaremon7
『そう、私も去年からおかしいと思ってました。
数年前から、「創価王道」のファンでいろいろと教えて頂いた事もありましたが、去年くらいから、言ってる事は正論かもしれないが、あれっ??なんか変だなぁ。。。
と思って、余り見ない様にしていました。』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20100606

okaremon7さんのように、おかしいと気付いておられる方は、他にも沢山いらっしゃると思っております。
私は自分の宿業を相談していました。去年の夏までは、“なんて信心の強い方だろう”と尊敬していました。しかし、それは小野(敬称略)自身が造り出す幻想であり虚像でした。一時期だけとはいえ、その虚像に騙され、魔につけいるスキを与えてしまった私も愚かでした。でも、だからこそ、こうして今堂々と声をあげることができます。
小野は、「師匠のため」「広宣流布のため」「同志のため」という心は微塵もありません。小野の言葉の中には、確かに正論に聞こえるものもあります。ただ、それは御指導にある通り、自身の悪をひた隠し、虚像を宣伝するための策略です。決して小野の真意から出ている言葉ではありません。

【御書と御指導】
・いつの世でも反逆者たちは、もっともらしい言辞を弄(ろう)して、みずからの行為を正当化するものだ。(1988-05-22)

・慢心の一つの特徴は「嘘」である。日蓮大聖人は御義口伝において『自分の欠点を隠し、徳を宣伝するのが増上慢である』(P.718)という妙楽大師の言葉を引いておられる。
自分の欠点を隠し、ありもしない自分の徳を宣伝するために、嘘をつき通すのである。「見栄っ張り」であり、「偽善者」である。しかも、その嘘を恥じないし、反省もしない。(1999-01-27)

・『仏と魔との戦いに「中間」はない』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20100529/

・『「真実を見きわめる」ことの大切さ』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20100603/


それだけではありません。注意深く読んでいて分かったのですが、ブログで紹介している様々な書籍からの「抜き書き」も、自分に都合の良いように勝手に原文を書き替えたり、書き足して紹介している時が多々あります。このような良心を欠いた小細工を平気でできる人物ですから、以前、小野が「真蹟主義」についてあのような猜疑心を煽る邪見記事を書いたのも、(小野なりに)当然なことなのでしょう。

【御書と御指導】
・また、『彼ら程度の蚊や虻(あぶ)のようにつまらぬ者が、日蓮ほどの師子王を、ちゃんと聞くことも見ることもせず、うわの空でそしっている。それほどの愚人である』(P.982)と。
大聖人は師子王であられる。真実の門下の私どもも獅子でなければならない。蚊や虻は飛び回るとうるさいが、何も確かめもせず、理解もせずして、聞かず見ずして悪口(あっこう)したり、作りごとを書いたりしているだけなのである。獅子が、いつまでも、こうした「愚人」の勝手にさせておいたとしたら、大聖人のお叱りを恐れるべきであろう。(1991-09-20)


以前、小野の悪を破折した私に、本当に同じ人間かと疑うような卑劣な悪口罵詈、脅し文句を浴びせてきました。自分の悪・化けの皮が剥がれることを恐れての酷い攻撃でした。しかし、それら一連の攻撃は、寸分違わず、全て御書と御指導通りの悪の実態そのもので、小野自らが見事にそれを証明してくれました。

【御書と御指導】
・本来、宗教は人を救うものである。なぜ、そんなに人を地獄に堕としたがるのか。無慈悲な言動は、それ自体、インチキの証拠であろう。(1991-11-23)

・絢爛たる世界広布が開けようとする時代――その時に、天魔が入った人間が、正法を弘めさせまいとする(中略)。そして信ずる者をバカにし、いじめる。(1991-08-12)

・これまで学会に大恩がありながら、反逆していった人間も、肩書や出身、学歴、立場等にとらわれる慢心が必ずあった。ゆえに、叱られたり、自分のわがままが通用せず、自分の思いどおりにいかないと、それを「自分のせいだ」と自覚できないで、「人が悪い」「学会が悪い」と逆恨みしてしまった。そこには、謙虚に法を求める姿勢も、師弟の精神も、まったくない。(1992-10-22)

日蓮大聖人は『おごれる者は、強敵にあうと必ず恐れる』(P.957)と仰せである。
増上慢の人間は、本物である法華経の行者が現れると、自分の本性が、あぶりだされてしまうことを怯える。聖者とか人格者とか信仰者という仮面を、はぎとられてしまう恐怖に身震いする。そこで、法華経の行者を逆恨みして、亡き者にしようとするのである。(1999-01-27)


小野は師匠を欺く裏切り者です。大変危険な人物です。「大魔のつきたる者」であり、「天魔の部類・外道の弟子」であり、「法華経の敵」であると断言しておきます!