ひとたび反逆した輩を絶対に許すわけにはいかない!!

〈6月24日更新:4〉

【御聖訓・御指導】
■これまでも純粋で真面目な学会員を利用して、自分たちの邪な目的を成し遂げようとする黒い動きがあった。今後も、そうした動きが必ず起きてくるだろうが、もはや絶対に許してはならない。それらを許せば、結局、学会員が苦しむことになり、信心の世界を濁らせてしまうからである。(1989-02-20)

■“脅す”人は、絶対に仏法者ではない。悪逆の権力者か、残酷な暴力者であろう。悪僧らの恐喝に対して、当然のことながら、大聖人は微動だにもされず、むしろ、正邪を決する千載一遇の機会と喜んでおられる。(1991-11-09)

■『“味方のような顔をして近づき”信心を破る。言葉たくみに何とか退転させようとする。それが悪知識である。この「悪い友」こそ、幸福と成仏の最大の敵なのである。』
(中略)
悪知識は、「自分」が中心である。ゆえに、その時々によって言動が違ってくる。(1991-06-18)

日蓮大聖人は、三位房等の退転者に共通する生命の本質を、次のように指摘されている。『臆病で、求道心がなく、欲が深く、疑い深い者たち』と。
これは、自分を守るのに汲々として、広宣流布しようとか、和合僧を広げようとか、そういう思いはなく、貪欲で、猜疑心が強い人間のことである。(1991-10-17)

法華経の行者をあだまん人をば父母のかたきよりもなをつよくいましむべし(P.1459)


【『法華経智慧』第3巻 池田大作

他化自在天」とは、こうも考えられないだろうか。「自分以外のすべてを、自分の手段として利用しようという生命の根本的傾向性」と。
(中略)
宇宙と自分は一体不二である。そう頭ではわかっても、生命の根底ではわからない。これが「元品の無明」とも言えよう。この無明のために、宇宙を自分のために奉仕させ、手段にしようとする。それが「他化自在天」であり「第六天の魔王」であり「権力の魔性」です。