ブログ「創価王道」を斬る

〈6月25日更新:3>

お前のネット上での愚行は、すべて私利私欲、自身の栄耀栄華(えいようえいが)のためであり、その本性はまさに『法をくらふがき』、僣聖増上慢だ!

以下に記した「僣聖増上慢の特徴」全てが、寸分違わずお前そのものだ!

【1:人間を軽賤する僣聖増上慢】(参照『法華経智慧』第3巻 以下同)
民衆への蔑視。一切衆生を尊極の宝と見る法華経の正反対。だから、「法華経の行者の敵」とならざるを得ない。
堤婆達多もそうだった。彼を描いた小説には、こんな描写がある。
「堤婆達多は人間を軽蔑し、厭悪(えんお)した。彼は自らあらゆる醜悪なる人間性の所有者、経験者であったがために、凡(すべ)ての人間は彼の眼にさながら汚わいなる五臓六腑のままに見えた」
『利得に執着し貪るために、在家信者のために教えを説き、六神通を得た阿羅漢のように世の人々に尊敬されるでしょう』(法華経P.441第五行)
自分が“もうける”ために、仏法を利用するのが僣聖増上慢です。それでいて、世間の人々から「聖者」のように仰がれている。苦悩の人を救おうとか、広宣流布に命を捧げていこうなどという心はない。宗教利用の偽善者です。日蓮大聖人は、自分の名聞名利のために仏法を説く人間を、『食法がき』(P.1111)と呼ばれている。仏法の世界で、うまく泳いでいこう、人から尊敬されよう、人気を得よう、喝采を浴びよう。そういう卑しい心です。

●以前にも破折した通り、お前は創価の看板を掲げたネット上でアフィリエイトをやっている。信心利用の謗法だ!師匠を求める心、広布への戦う心もなく、“損得勘定”と“名聞名利”の為だけに動く卑しい野心家だ!

【2・法華経の行者を「つくり話」で迫害】
第六行では『この人(僣聖増上慢)は悪心をもって、いつも世俗のことを気にかけ、閑静な場所に住んで修行しているとは名ばかりで、私たちの過失を好んで作り出そうとします』と。自分に敵対する法華経の行者が出現すると、ありもしない過失を捏造し、言い立てる。
偽善者にとって、恐ろしいのは自分たちの実像が暴かれることです。ゆえに、真実を叫ぶ法華経の行者が“脅威”となる。そこで、もともと、お手のものである「嘘」で法華経の行者を、なきものにしようとする。
まさに「讒言」と「つくり話」です。しかも、その内容たるや、自分のことを言っているにすぎない。「利養や名声を貪る」「外道の論議を説く。」僣聖増上慢は自分の「醜い実像」を、そのまま法華経の行者の姿と“すりかえて”悪口してくる。自分の“影”に向かって悪口を言っているようなものだ。
「僣聖」には、「聖者のふりをする」という意味がある。「聖者」と思われているだけであって、本物ではない。むしろ「実像」は逆。だから、自分は所詮本物ではない、「仮面をかぶって生きている」ということを、心のどこかでは知っている。しかし、増上慢の心が強いため、自分の醜い実像を正面から受け入れ、認めることはどうしてもできない。実像は、いつもは意識されないで抑圧されている。そんななか、真の仏法者である法華経の行者が現れると、太陽にまぶしく照らされたように、いやでも自分の卑小な姿を見せつけられてしまう。それが「増上慢」には耐えられない。そこで、法華経の行者さえいなければいいと考えてしまう。嫉妬です。自分の実像が歪んでいるのに、それを映す明鏡に対して怒っているようなものだ。「醜い姿じゃないか」と鏡を指さしているわけだが、実はそれは自分の姿が映っている。

●悪を破折した私に対して、お前はどれほど邪悪な脅し(殺人予告等)をしてきたか!姑息にも卑怯な手を使ってまで仕入れた、私と私の家族(遠方に離れて暮らす身内含む)の個人情報を元に、“全くデマの”つくり話をでっち上げ、どれほど卑劣な誹謗・中傷を繰り返してきたか!危険・陰険・陰湿なストーカーだ!お前が企てたこれら“恐怖支配”の迫害全てを、私が身をもって、一人受けて立ってきた通りだ!

【3・裏から権力を操る】
『いつも大勢の人々の中にあって、私たち(法華経の行者)を謗ろうとするために、国王、大臣、婆羅門、居士やその他比丘たちに向かって、私たちを誹謗し、私たちの悪を説いて、「これらの人は邪見の人であり、外道の論議を説いている」と言う』(第九・十行)
法華経の行者と直接、対決するのではない。常に裏で操ろうとする。それが僣聖増上慢の「くせ」です。仮面をかぶった生き方が身についてしまっている。本当は臆病なのです。そこで世間に向かって、また権力者や社会の有力者に対して、法華経の行者の誹謗・中傷を繰り返すのです。いかに悪辣で卑劣であるかは、この一事を見ても明らかだ。
しかも、自分の手は汚さない。偽善者は、どこまでいっても偽善者です。
次に、三類の強敵が法華経の行者をバカにして『あなた達は皆、仏であると悪口を言う』(第十一行)とあります。現代的に言えば、“あなた達は偉いよ。へー、仏になれるんだってね”という皮肉混じりの批判。“たいしたものだよ。あんなやつが仏だっていうんだから”と聞こえる。
不軽菩薩の行動のように、「汝等は皆是れ仏なり」とは、本来、最高の「人間への尊敬」です。それすらも三類の強敵は、人を嘲笑する言葉として使う。人を見下すことしか知らない人間の卑しさが如実に現れている。

●悪を破折した私からお前は臆病にも逃げ回った。そのくせ自身のブログ(古本屋含む)やTwitter(RT含む)等のネット上で、姑息な“隠喩”を用い、私へ向けて悪口罵詈・蔑視・攻撃を続けてきた!いくら嘘をつき、智者ぶっても真実は誤魔化せない!全く上記の特徴どうりだ!
お前は、民衆を隷属化、手段化しようとする権力の魔性に取りつかれた魔物だ!人の道に外れた最低の所行だ!
ひょっとしたら、被害者は私だけではないと思っている。

以上の通り、お前こそが、まぎれもない“ネット世界の僣聖増上慢”だ!!


・ブログ「創価王道」<6月2日>を斬る
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・ブログ「創価王道」<6月5日>を斬る
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