頭破作七分

■●谷川─正義の青年僧侶改革同盟の若き僧侶たちの活躍は、素晴らしいですね。
●佐藤─いや、みな優秀です。
●秋谷─本当だね。優秀な頭脳だから、正邪が明確にわかる。(中略)
●谷川─「頭破作七分(頭破れて七分に作る)」の日顕には、まったくわからない(爆笑)。
●和泉─自分が入会した当時に出た会合で、「御本尊に向かって右の肩にしたためられている、この『頭破七分』(頭破作七分)というのは、どういう意味ですか」と、ある婦人が質問をしていた。
そこにいた学会の幹部が「これは法華経にある文である。簡単に言えば頭が少々、狂っている。もっと厳しく言えば、正しい思考ができない」と言っていた。その通りと思う。
(『旭日の創価学会70年 第2巻』秋谷栄之助 編 以下同)
■社会常識も、恥も外聞もない、どうしようもない男
■恩知らずの、犬畜生以下だ!
■神出鬼没(しんしゅつきぼつ)の妖怪を思わせる存在

サイコパスは道徳律をもたず、他人も自分と同じ欲望に生きていると思っているため、他人の道徳的、倫理的資質に思いをおよぼすことができない。─ロバート・I・サイモン 『邪悪な夢』
(『サイコパスの犯罪 元弁護士 山崎正友の心の闇』 中田光彦 )

【御指導】
■「彼の阿闍梨等は・自科を顧みざる者にして嫉妬するの間自眼を回転して大山を眩(めぐ)ると観るか」(P.1453)
――かの阿闍梨(大聖人を誹謗して、本末転倒の法門を唱えていた悪僧・尾張阿闍梨)らは、自分の誤りを顧みない者であり、(正法の行者であられる大聖人を)嫉妬するあまり、自分の目が回転しているのを大山が回っていると見ているようなものである―。
たしかに、自分の目が回っていれば、見るものすべてが回って見えるだろう。しかも自分では、その転倒に全く気づかない。こうなっては、もう正常な話し合いも不可能である。
ぐるぐる目が回転している人に、どう見えようと、大山は大山である。どっしりとして不動であり、不変である。
富士のごとき、また浅間のごとき、大いなる山も、目が回っている人間には、ぐらついて見える。動かざる大地も、雲を浮かべた大空も、回って見えるのである。(中略)
さらに、目が回って、物事の正しい姿が映らない。ゆえに、必ず道を誤る。(1990-08-12)