魔性の策謀屋

■どれほど山崎正友のインチキ性の記事がウソであり、デマであり、策略であったことか
(『旭日の創価学会70年 第3巻 秋谷栄之助 編 以下同』)
■●和泉─だいたい、昔の部下の一人も、軽蔑して言ってたよ。
「山崎は、コソコソ、何やら書いていたが、ドブネズミのような独特の臭みがする下品な文章で、読めたものじゃない。そもそも、『どう他人を騙すか』『どう、小ズルくウソをつくか』という、醜い下郎(げろう)根性が、そっくりそのまま出ている、下手クソな文章だ」と笑っていた。
●谷川─まったく、まったく、その通りだ。

■あの大ウソつきが、どれほど多くの人を陥れてきたか。

■●福島─「月刊ペン」に書かれていたデマが、どれも事実無根のデッチ上げだということは、そもそも山崎本人が自分で認めていたことなんだ。
●先崎─えっ、それは、どういうことですか?
●福島─実は、山崎は、昭和51年3月9日、つまり、問題の「月刊ペン」が発刊された直後、学会首脳あてに、意見書を書いているんだ。
●秋谷─そうだ。そのころの山崎は、まだまともなことも言っていた(笑い)。
悪の正体を見せずに、学会の側についた格好だった。学会側に安心を与え、信用を勝ち取っておいて、いずれスキを見て動こうという考えだった。意見書を書いたのは、そのころのことだ。