大切なのは、仏と魔との戦いに「中間」はないということ

【東京、文京・台東・板橋区代表者会議での名誉会長のスピーチ】
■善と悪との壮絶なせめぎ合い。これが、この世の永遠の劇である。
宇宙は常に、善と悪との闘争の舞台なのである。
広宣流布が進んでいけば、組織が大きくなれば戦いは楽になってくるだろう。そう錯覚したとしたら、それ自体が既に悪に破れつつある姿である。
また、自分はこれだけ信心したから、もう心配はないだろう。誰にもそんなことは言えない。
仏法、信心は永遠に前進であり、永遠に闘争である。その「前進」が即「安穏」なのである。朗らかに堂々と「戦い続ける」姿が、そのまま「勝利」の生命なのである。
飛行機も飛び立った以上は、懸命に飛んでいる時こそ、最も安定している。エンジンの回転をゆるめれば、失速し、やがて墜落する以外ない。
そして大切なのは、仏と魔との戦いに「中間」はないということである。その本質が「仏の軍勢」なのか、「魔王の軍勢」なのか。どちらかである。
一人の人間が3割だけ仏の側で、7割は魔の陣営だとか(笑い)、魔だけれども、言っていることを聞けば、ちょっとだけ仏の味方だとか(大笑い)、それらは仏法の眼(まなこ)から見れば、生命の実相を知らない滑稽な考え方といわざるを得ない。
徹頭徹尾、“仏法は勝負”なのである。この基本が皆中々わからない。私は常に誰も気づかないうちに、「魔」という本質を見抜く。悪に対しては厳しく戦い、打ち破る勇者でなければ、大切な仏子を守りゆく使命は果たせないからである。 (1989-12-24)