ブログ「斧節」を斬る!5

◎「スピリチュアリズムの否定」
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20101211/
■「慢」の心は、いつも揺れ動いている。安定し、安らぐことがない。相手を動揺させようとしていながら、実際に揺れ動いているのは、嫉妬の人間のほうなのです。
大聖人は、法華経の敵の“眼(まなこ)の転倒”を、こう指摘された。「自分の誤りをかえりみない者が(大聖人を)嫉妬するあまり、自分の目が回っているのに、大山のほうが回っていると見ている」(御書P.1453、趣意)。
大山は不動です。それなのに、大山が回っているように騒ぐ人間は、自分の目が回っていることを告白しているに過ぎない。
(『法華経智慧 第四巻』池田大作)
【御聖訓】
■自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん(P.6)
■人に吉(よし)と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なり(P.556)
能登房はげんに身かたで候しが・世間のをそろしさと申し・欲と申し・日蓮をすつるのみならず・敵(かたき)となり候ぬ(P.1225)
【御指導】
■いつの世でも「反逆者たちは、もっともらしい言辞を弄(ろう)して、みずからの行為を正当化する」ものだ。
しかし大聖人は、その本質を『世間の恐ろしさ』と『欲』、すなわち“見栄”“臆病”と“私欲”である、と喝破されている。この構図は今も変わらないし、その一点さえ鋭く見破ってしまえば何でもない。広宣流布における必然の方程式であると達観していけばよいのである。(1988-05-22)
■悪知識は、「自分」が中心である。ゆえに、その時々によって言動が違ってくる。(1991-06-18)


12月11日更新:3