法華経を讚むると雖も還つて法華の心を死すとは是なり(P.833)

【御金言】
■うれしきかな末法流布に生れあへる我等・かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人、抑(そもそも)人界に生を受くるもの誰か無常を免れん、さあらんに取つては何ぞ後世のつとめを・いたさざらんや、倩(つらつら)世間の体を観ずれば人皆口には此の経を信じ手には経巻をにぎるといへども・経の心にそむく間・悪道を免れ難し、譬えば人に皆五臓あり一臓も損ずれば其の臓より病出て来て余の臓を破り終に命を失うが如し、爰(ここ)を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す」等云云、文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども法華の心に背きぬれば還つて釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり(新池御書P.1439)


12月15日更新:2