そもそも発想の根本が狂っている

■日本国の男は提婆がごとく(P.1556)
■●名誉会長─自分の見栄や策謀で、偽善的に清貧ぶったり高潔ぶるのは、宗教利用と言わざるを得ない。要は、提婆達多は「釈尊よりも自分が尊敬されたい」と熱望した。嫉妬です。そのために考えだしたのが、さきほどの五つのような戒律だったのではないだろうか。
●遠藤─そもそも発想の根本が、狂っているわけですね。
■偽善者は、あらゆる手段を使って、自分を高く立派に見せようとする。あの提婆達多が、まさにそうだった。極端な戒律を唱えて、自分を釈尊以上に高潔に見せようとしたのです。
(『法華経智慧 第三巻』池田大作)

【御指導】
■提婆の心根について、日蓮大聖人は次のように喝破されている。
提婆達多釈尊にくらべて、人に貴ばれなかったので、どのようにしたら世間の名誉が釈尊より勝るようになるだろうかと、いろいろ思案をめぐらした」(P.1041)と。
つまり、提婆の奥底の心は、釈尊への嫉妬、いわゆる男のヤキモチであり、釈尊より勝れたい、との世間的な名誉欲にすぎなかったといってよい。それは「信心の心」でも何でもない。信仰とはもっともかけ離れた低俗な次元の、あさましい心であった。
しかし、提婆は、だれよりも純粋な信仰者の姿を偽装しながら、次のように釈尊に申し出る。「もはや世尊(釈尊)は年老いた。教団は私(提婆)にまかせて、引退しなさい」と。もとより、釈尊は、この思い上がった提婆の要求を厳然と拒絶する。その折、大衆の面前で、釈尊から厳しく叱責された提婆は、反省するどころか、恨みと憎しみを激しく燃やし、公然と反逆を始める。釈尊は、舎利弗に命じて、これ以後、提婆の言動は、もはや教団とは無関係であることを、広く告げ知らせた。(1988-06-17)


12月30日更新:1