肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼(P.1144)

【御指導】
■尊極なる生命の因果も、大宇宙の根本法も知らない人たちの浅薄な言葉に紛動されて、唯一無二の幸福の大法である妙法の正しさを見きわめようともせず、信心を失ったりしてはならないと、私は強く申し上げておきたい。(1990-01-15)
■「法眼」「仏眼」は、「信心」の二字に含まれる。
「肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の五眼を、御本尊を信受する者は自然のうちに具(そな)えることができる」(P.1144)と、日蓮大聖人は断言しておられる。この仰せのとおり、御本尊を受持し、信行学の実践を地道に貫きとおした人は、信心が深まるにつれて、自然のうちに「因果の理法」が見えてくるものだ。「この問題の本質は、こうだな」「これは偽りの姿だな」等々、人生や社会のあらゆる問題の本質、実像を、見透かすように正しく把握できるようになる。
たとえば、滋養を得た木が自然に大木に育っていくのと同じように、正しい「法」にのっとっていけば、その人の振る舞いは、みずからが意識せずとも、知らずしらずのうちに「法眼」「仏眼」の見方にかなったものになる。いわば「信心の眼」こそが、凡夫における「仏眼」となるのである。ゆえに、何があっても「信心」で一切を受けとめていくという姿勢が大切である。(1989-10-15)


1月11日更新:2