物にくるうせう房がごとし(P.1268)!

・斧節『ばあちゃんが新興宗教にはまった』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110226/
■総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし(P.1268)
勝手な己義を中心にして、正法を破壊し続けている。発想の“元”が狂っているゆえに、その論は何の意味ももたないどころか、かえって謗法だ。根本を見失う姿が、まさに“根なし草”そのものだ!
>>「科学の発達に伴って新たな教義を示すことができなかったところに、仏教が衰退した最大の原因があるように思う」(小野)
これは嘘だ!先生は先日の随筆(2月19日付)で、仏教が衰退してしまった理由をこう述べておられる。
『武力侵略など外的な因子もあった。だが、シン博士がまず挙げたのは“僧尼の精神的・倫理的修養の頽廃(たいはい)”“部派間の絶えない争い”という二点であった。つまり「師子身中の虫」によって滅びた──ここに、重大な歴史の教訓がある。』と。
いかにお前の論が我見であり邪流であるかは明らかだ。この随筆は、お前自身よくよく胸に手を当て、心して拝すべきだ。
>>「教義といっても情報である」(小野)
これは誤りだ。教義は単なる“情報”ではない。
■御本仏の御金言を軽く思うことは、大謗法である。(御指導、1990-08-02)
■経文は「仏の金言」であり、仏法の世界では「天子の一言」の重みをもつ。その裏づけのないものは、どんなにたくみにつくろっても、結局、自分勝手な己義──いわゆる我見である。(御指導、1992-08-29)
■御書という明鏡こそが、われらの一切の規範であり、指針である。御書に帰ることが大聖人直結であり、そこに信心の王道がある。(「新・人間革命」厳護四十二)

2月26日更新:2