御金言

・斧節『それがどれだけ、「健全と思われる教義」であったとしても、それを「押し付けようとする」のはまずうござんす』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110305/
■仏法は、自宗、他宗と異なるといっても、手に取り繰り返し大事にし探求する本意は、出家か在家か、身分が貴いか、賎しいかにかかわりなく、ともに苦しみを離れて楽しみを得、現在と未来にわたる幸福を得んがためである。それなのに(真実の仏法がわからず)謗法の者となって悪道に堕ちてしまったならば、文殊菩薩のようなすばらしい智慧富楼那のような雄弁をもっていたとしても、それらは少しの利益にもならないのである。(P.143、通解)
>>特定の信念に凝り固まった人ほど、この文章を読むことができない(小野)
■よりどころとする経教によって、人の勝劣を定めるのです。だから、まず、経教の勝劣を知らなければ、どうして人の高下を論ずることができましょうか。(P.141、通解)

3月5日更新