創価学会は宗教界の王者である!─戸田先生

・斧節『ニューエイジを定義する』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110605/
●此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて法華経の行者を見ては怨み嫉み軽しめ、賎み犬野干よりも・わろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり(556頁)
●学会に臆病者はいらない。自分勝手な見方をする、自己中心の輩もいらない。縁に紛動される、疑い深き意気地なしもいらない。(御指導、1998-04-21)
●経文は「仏の金言」であり、仏法の世界では「天子の一言」の重みをもつ。その裏づけのないものは、どんなにたくみにつくろっても、結局、自分勝手な己義──いわゆる我見である。(御指導、1992-08-29)

この記事はデタラメだ!謗法まみれのうえに自己保身。気持ち悪くて読めたもんじゃない。そのうえ、組織やリーダー、選挙支援への不信と反感を煽る撹乱の言動にも辟易するよ。
>>日蓮が権実相対を全面に出して法論を呼びかけたのは、対話のテーブル作りが目的であって、実大乗教である法華経を絶対視したものではないと思われる。(小野)
権教に傾倒している自分を正当化しているだけじゃないか。実践と教学がないから、本当の仏法がわからない証拠だ。
●自分の邪義に少しでも合わない経文があると、道理を曲げて、なんとか筋道をとおそうとし、無理に自分の邪義に合わせる。(45頁、通解)
●権力維持や保身のために思想や宗教を支配しようとするのは“転倒の指導者” (『法華経の智慧 第三巻』)
>>創価学会がアンバランスなのは教義がニューエイジ的であるにもかかわらず、組織が反ニューエイジ的になっているためだ。(小野)
●汝が立儀一一大僻見(びゃっけん)なり(154頁)
●自見を以て正義と為(す)るが故に還つて法華経を以て或は小乗経に同じ或は華厳大日経等に同じ或は之を下す、此等の諸師は儒家外道の賢聖より劣れる者なり(242頁)
●すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ─ゲーテ

6月8日更新:1