御指導

●広宣流布においては、日蓮大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。日本的な「水に流す」とか「みそぎ」とかいう慣習は、一見、寛容のようであって、じつは、「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は、精神の敗北である。
日蓮大聖人も、日興上人も、どんな小さな悪も許されなかった。仏法は「人情論」ではない。「正義の大闘争」である。
戸田先生も笑って言われていたが、大聖人の「口の悪さ」には、だれもかなわない。
世間で尊敬されている、極楽寺良観に対しても、「蚊のような、虻(あぶ)のような、蝦蟆(がま)のような法師である」(p.1162)とおおやけに言っておられた。
「釈尊も、同じように厳しく経文で言っておられるのだから、それでよいのだ」(同)とも書いておられる。
日興上人も、「五老僧」とその一味を、最後まで許しておられない。「五人所破抄」を弟子に書かせたのは、身延離山から数えて、なんと四十年目である。(1999-02-03)

6月14日更新:4