忘れまじ「7・3」

【随筆『我らの勝利の大道19』7月3日と師弟の魂】
●権力の 魔性見つめし この日かな 学会精神 いやまし炎と
●勇気は、何があっても晴れやかだ。不屈である。
反対に、臆病という心の牢獄に囚われた人生は、常に不幸であり、不自由だ。
権力の鉄格子が我を試すならば試すがよい。創価の師子は絶対に負けない!
七月三日は、“恩師を、学会を、同志を、命を懸けて護り抜く!”と固く誓った私の原点の日だ。
●七月三日、北海道から大阪に移動する途次、中継地の羽田空港で、恩師が待っていてくださった。「死んではならんぞ」 戸田先生は、私の体を抱き締め、声を振り絞るように言われた。「もしも、お前が死ぬようなことになったら私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな!」
熱い感動が込み上げた。生死を越えて、師弟は不二である。この師と共にある限り、絶対に敗北はない。

【随筆 師子の誉れ「7・3」 大難の嵐に翻れ 広宣の旗!】
●時代の闇を破り、天晴れたる七月三日!
一九四五年(昭和二十年)のその日は、戦時中、軍部政府の弾圧と戦った、戸田先生が出獄され、広宣流布に一人立たれた日である。
それから十二年後(一九五七年=同三十二年)の、同じ七月三日、私も“師子”として、誉れある法難に連なったのである。
●当局は、逮捕した会員たちを脅し上げ、選挙違反は、ことごとく、私の指示であったとする虚偽の供述をさせ、罪を捏造していった。私への取り調べは、過酷を極めた。夕食も抜きで、深夜まで責め立てられたこともあった。手錠をかけられたまま、屋外に連れ出され、さらしもののようにされたこともあった。
獄中で、私は御書を拝した。本も読んだ。ユゴーは、私に、「戦え!負けるな!」と、励ましと勇気を送ってくれた。そのユゴーは亡命十九年。インドのネルーも投獄九回、獄窓約九年に及んでいる。
いわんや、大聖人を思え!牧口先生を思え!戸田先生を思え!
私は、断じて屈しなかった。創価の誇りがあった。
●広宣流布とは“権力の魔性”との壮絶な闘争である。メロドラマのような、その場限りの、浅はかな感傷の世界では断じてない。
大聖人は、大難の嵐のなか、「本(もと)より存知の上」(御書九五一ページ)と、厳然と仰せられた。
私は、恩師・戸田先生の弟子である。もとより「革命は死なり」と覚悟してきた。広宣流布とは、殉難を恐れぬ創価の勇者によってのみ、成就される聖業といえるのだ。
青年よ、民衆の勝利のために“師子”となって立ち上がれ!
そして、友のために走れ!
何ものも恐れるな!
出(いで)よ!幾万、幾十万のわが門下たちよ!
時代のすべては、やがて移り変わる。花が乱れ咲く時もあろう。悪魔たちが正義を葬り去ろうとする狂気の時代(とき)もあろう。
しかし、黄金の道をつくれ!歩め!極善の一歩を踏み出すのだ!創価の宝である、師弟不二なる若き弟子たちよ!

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