人を怨(あだ)むことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ(228頁)

・斧節『親切な応答』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110703/
>>「祈祷抄」を出した時点でお話にならない。真蹟が存在せず。(小野)
●御書という明鏡こそが、われらの一切の規範であり、指針である。 御書に帰ることが大聖人直結であり、そこに信心の王道がある。(「新・人間革命」厳護四十二)
● 「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書(もんじょ)なり」(P563)とある通りだ。御書を一切、自分の生命のことを説き明かした経典と拝しているから、学会は強いのです。負けないのです。(「御書と青年 1」 聖教新聞 2010-01-25 )
御書を軽視し、真蹟に固執するのは誤った態度だ。大聖人の血脈を正しく継がれた戸田先生が命を注いで編纂された大事な大事な御書だ。
言うまでもなく、池田先生もこの御書を根本とされ、全てにおいて勝利の実証を眼前に示してくださった。この事実をみても、御書を王道とすることが、いかに正しいかは明白だ。
>>難癖のレベルで付き合う必要もなかろう。不勉強な人物に限って根拠なき確信で強がるものだ。無知を恥じるほどの感性もないのだろう。(小野)
>>自分の目の高さが世界の全てだと思い込んでいる連中はコミュニケーションが極めて難しい。(小野)
●常に他人に勝つことを願い、その心を抑えきれず、人を見下し、他者を軽んじ、自分だけを尊ぶ。それはまるでトンビが高く飛んで、下を見下ろす姿の様である。(p.430、通解)
●嫉妬の人間の悪口はつねに自分自身の“悪”と“動揺”を語っているにすぎない。(御指導、1990-08-12)
末法法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者、その臣下、そして民衆は、迫害した当初は、何も起こらないように見えても、最後には必ず滅びる(p.1190、通解)
「自ら省ること能わざる」(p.718)。みっともない男だな。「親切な応答」どころか、傲慢だ。
「根拠なき確信」とお前は言うが、御書を根拠にしておられるじゃないか。自分の邪義を正当化する為に、同志を悪く言い、相手を貶めようとする愚行をやめよ!
>>選挙に負けてばかりいるくせに、平然と「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」との文証を引用するとは肩腹痛い。(小野)
●御本仏の御金言を軽く思うことは、大謗法である(御指導、1990-08-02)
●道理をよこしまに曲げて我をとおす者(p.1095、通解)
●仏法というのは道理である。道理というのは、主君という権力者にも、勝つものである(p.1169、通解)
何だ、この物言いは!?侮辱するのもいい加減にせよ!
文証引用が正しい姿勢であることは明白すぎるほど明白だ。
誹謗中傷の愚行を相手の方に謝罪せよ!

7月4日更新:1