「社会悪の元凶─“畜生の心”を打ち破れ」

増上慢の本質
●*佐藤─今の世の中には、自分より弱い者に対しては威張り、強い者にはへつらう人間が、あまりにも多いと感じます。
私の大学時代の友人も「会社の上司が、上にはペコペコするのに、部下には威張りちらして大変だよ」と嘆いていました(笑い)。
臆病な迎合や弱い者いじめが、社会の腐敗や不正などを生む元凶となっているのではないでしょうか。
*名誉会長─その通りです。ですから、佐渡御書では、「師子王の心」と対比して、「畜生の心」を厳しく戒めておられるのです。
「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる 当世の学者等は畜生の如し」(p.957)とあります。
本来、自らの学識や力を生かして人々に尽くす指導層が、権威をふりかざして威張り、正義の人を迫害する。
それは卑劣な増上慢です。その本質は臆病なのです。
大聖人はその悪逆と戦われました。絶大な権力を持つ為政者に対しても、敢然と「正義に目覚めよ」「真に民衆のために献身せよ」と身命を賭して諫暁(かんぎょう)なされたのです。
*熊沢─なぜ、迫害を覚悟の上で正義を叫び抜いていかれたのでしょうか。
*名誉会長─御書には「いはずば・慈悲なきに・にたり」(p.200)と仰せです。真実を言わなければ、かえって無慈悲になってしまう。多くの民衆を不幸のまま放置することになる。だから師子吼なされたのです。
これこそ究極の正義です。真実の大慈悲です。勇気とは慈悲の異名です。学会は、この大聖人の御精神を真っ直ぐに受け継いできました。
牧口先生と戸田先生は、軍部政府と戦って牢獄に入られた。牧口先生は獄死された。
戸田先生は、2年間の過酷な獄中生活を耐え抜かれた。酷暑と極寒。看守から何度も殴られた。それでも、絶対に信念を曲げなかった。
大偉人たる師匠を死に至らしめた魔性に対して、憤怒を燃えたぎらせて戦い抜いた。真正の師子王です。
とともに、不幸の底で嘆き悲しむ庶民に対しては、大海のような深い慈愛で接しておられた。一人一人を心の底から慈しみ、何としても幸福にしてみせるとの強い一念で励まし続けていかれたのです。
*佐藤─あの夕張炭労事件の時も、池田先生が急きょ、北海道に駆けつけてくださいました。
先生は「夕張の友は、最も危険なところで働いている。その同志がいじめられているんだ。つらい思いをしている友を黙って見ていられるわけがないじゃないか」と激励してくださった。その感激を、草創の先輩が熱い思いを込めて語っておられました。(「御書と青年 4」聖教新聞 2010-03-28)
●*名誉会長─私は、戸田先生にお仕えしながら、深く決意しました。
師子王をお護りするため、弟子である自分が「師子王の心」を取り出して、一切の障魔を打ち破っていくのだと。
*熊沢─昭和54年(1979年)、破和合僧の陰謀が渦巻く中、私たちの先輩である北陸女子部のリーダーは、ある会合で声高らかに叫びました。
「何が変わろうとも、誰がどうあろうとも、私たちの師匠は、池田先生ただお一人ではないですか!」と。(同)

7月5日更新:2