御用心の御為に申す(p.114)

【御指導】
●日蓮大聖人は“法華の敵”の転倒を、こう指摘された。
「あの高僧たちは、自分の誤りを省みない者であり、嫉妬するあまり、自分の目が回っているのに、大山のほうが回っていると見ているといえよう」(p.1453)
大山は不動である。広布をめざす、われらの信心も不動である。その「不動の一念」の周りを諸天が舞う。大山の不動をしらず、自分の目が回っているのを、大山が回っているごとく大騒ぎしている者たちに、少しでもまともに付き合うことは愚かである。大聖人が仰せのように「嫉妬」は物を見る目を転倒させてしまう。まことに愚かな、やっかいな感情のようだ。その心のすきまに大魔、天魔が入るのである。
また、「彼ら程度の蚊や虻(あぶ)のようにつまらぬ者が、日蓮ほどの師子王を、ちゃんと聞くことも見ることもせず、うわの空でそしっている。それほどの愚人である」(P.982)と。
大聖人は師子王であられる。真実の門下の私どもも獅子でなければならない。蚊や虻は飛び回るとうるさいが、何も確かめもせず、理解もせずして、聞かず見ずして悪口(あっこう)したり、作りごとを書いたりしているだけなのである。獅子が、いつまでも、こうした「愚人」の勝手にさせておいたとしたら、大聖人のお叱りを恐れるべきであろう。(1991-09-20)

7月13日更新:2