敵と申す者は忘れさせて狙ふものなり(p.1185)

●行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る 乃至随う可らず畏(おそ)る可らず 之に随えば将(まさ)に人をして悪道に向わしむ 之を畏れば正法を修することを妨ぐ(P.1087)
●「粉然」の「粉」とは、糸が絡まって、乱れることをいう。三障死魔が先を争い、入り乱れて現れるということである。ゆえに、まず「魔を魔と見破る」ことが重要である。
池田先生は「釈尊も絶えず魔と戦った。『魔と戦い続ける』ことと『仏である』こととは、実は同じことと言っても過言ではない」「魔は、内にも外にもいる。しかし、それに勝つか、負けるかは自分自身の一念です」と語られている。 (『御書をひもとく 要文123選』 創価学会男子部教学室 編)

8月22日更新:3