誹謗の者に親近すれば所修の善根悉(ことごと)く滅し(p.1374)

●今の社会の狂いは、全人格的な「智慧」と「知識」とを混同し、全人格的な「信仰」と「盲信」との見わけがつかないところから起こっていると言える。 (『法華経智慧 二巻』 以下同)
●人間の根底には証明不可能の「信」があり、一切の「知」の働きも信から離れて存在するものではないということだと思います。例えば、一切のものを疑ってなにものも信じないという「懐疑主義」を標榜している人がいたとしても、その人は「疑う」こと自体を信じていることになります。
●あたかも、宇宙ロケットを知らない人々に、いくら説明しても理解を絶しているように、生命の宇宙を自在に遊戯する妙法という秘術は、凡夫の思議(しぎ)を越えている。だからこそ強い「信」の力によって、妙法の軌道に乗る以外にないのです。その「信」は盲目的なものではなく、文証・理証・現証に基づくものです。

8月24日更新:3