悲しいかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり

●悲しいかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷えり、傍(ぼう)を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏(へん)を好む悪鬼便りを得ざらんや、如(し)かず彼の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。(p.24)
●(リーダーにとって)重要なのはカリスマ性ではない。リーダーシップとは人を惹きつけることではない ─ドラッガー
●大切なことは、「人」が基準ではなく、「法」が基準であるという点である。「人」を基準にすることは、人間の確かでない「心」を師とすることになり、いつしかボス(親分)と子分のような関係をつくってしまう場合がある。
「法」を基準にすることは「心の師となる」(p.1088)ことである。御本尊を根本に、御書に仰せのとおりの実践に励んできたからこそ、日本の大発展もあった。
日蓮大聖人は「今の世は僧侶も在家も、高い位の人も庶民も、皆、『人』を尊び、“だれが言ったか”を基準にして、『法』を用いない。みずからの迷った『心』を師匠として、『経文』に依(よ)らない」(p.1207)と嘆かれている。
「人」のみを基準にすれば、自然に独善となる。「法」を基準に、信行の行動をする人が、仏法の正しき指導者なのである。 (御指導、1990-02-21)

9月12日更新:3