にくまばにくめ(p.1135)!

・斧節 『無辜の市民』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110924/
>>私は元々感情が激しいタイプなのだが、数年前からその度を増している。(小野)
●貪・瞋・癡の三毒が次第に強盛になりもてゆくほどに・次第に人の命もつづまり身長も小さくなりもつてまかるなり(p.1465)

>>私より上位役職で善良そうな幹部を見ると殺意に近い感情が芽生える。(小野)
●経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨(けっこん)を懐(いだ)かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り(p.448)
●あんたのその根性の汚さだけで吐き気がしますよ (『未成年』 ドストエフスキー)
●「無明」ゆえに、「人間の平等な尊厳」という究極の真実・真理を明かした妙法に対して反発・敵対する「謗法」である。 (『御書の世界 三巻』)
野蛮な威張り屋め!善人を見て殺意に近い感情を覚えるとはまさに破壊魔の堤婆達多だ!その感情自体が人として何より狂っている証拠だ。尋常じゃない。そういう凶悪な生命だからこそ、三類の強敵とならざるをえないのだ。他者の尊厳(仏性)を冒涜する卑劣な増上慢よ、自らの命を省みよ!

>>大抵の場合次のようなやり取りとなる。「個人折伏は何世帯やってるんですか?」「完全に寝ている部員(未活動のメンバー)を今まで何人起こしてきましたか?」と尋ねる。で、私より少ないと、「お宅の活動には、さほど意味がないね」とため口モード全開。「戦っているフリしてもダメなんだよ」――後は推して知るべし。私は罵倒観音と化す。(小野)
●瞋恚(しんに)を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是れ無智の比丘と(p.448)
●仏子である学会員の尊い功労を、いささかでも軽んずるようなことがあるとすれば、それは大聖人のお心への重大な違背であると断じておきたい(御指導、1991-08-31)
●正義の人を苦しめ、いじめれば最後は無残だ。惨めな人生の末路をたどる─師匠
親分肌の愚か者め!立場や役職、折伏数で人を見るのは、まさにお前自身じゃないか!下には威張りちらし、上には敵意をもつ──それは修羅の「勝他の念」でもあり、畜生根性だ。人を敬う仏法の教えに完全に違背している。
これまで、現実にお前と縁した学会員がどれほど苦しめられ、虐められてきたかと思うとその方達が不憫でならない。可哀想でならない。

>>彼らに特有な「無辜(むこ)の市民」性ともいうべき性質が、私の逆鱗(げきりん)に触れるのだ。(小野)
●真の仏法者である法華経の行者が現れると、太陽にまぶしく照らされたように、いやでも自分の卑小な姿を見せつけられてしまう。それが「増上慢」には耐えられない。そこで、法華経の行者さえいなければいいと考えてしまう。嫉妬です。自分の実像が歪んでいるのに、それを映す明鏡に対して怒っているようなものだ。(『法華経智慧 三巻』)
これが、パレスチナがどうとか言い、さも“人権の味方”、“民衆の味方”の仮面を被っているお前の本性だ。その仮面の下は「軽賤憎嫉」のあさましい卑劣漢じゃないか!まるで大聖人御在世の僣聖増上慢、良観そのものだ。

>>真面目で善良な人物ほど上の支持に従う。彼らは自分の頭でものを考えることがない。彼らが忠実に行っているのは「仕事の遂行」である。(小野)
●個人的な怨嫉や虚栄などからの、いわば「自分中心」の意見。「行動」のない感情論の批判。これは愚痴であり文句です。(『21世紀の創価の正義』)
偏見だ!肝心のお前はどうなんだ!自他共の幸福の為に真剣に戦う師匠、学会員の心など、傲慢なお前にわかるはずがない。

>>創価学会員の言動に説得力がないのは思想的格闘がないためである。最終的に「――と御書に書いてある」「――と代々の会長が言っている」以上、で終わる。結局、借り物の思想なのだ。(小野)
●天下第一の自讃毀他(じさんきた)の大妄語の人(p.353)
●愚癡無懺(ぐちむざん)の心を以て即心即仏と立つ豈未得謂得・未証謂証の人に非ずや(p.152)
自分の無知、信心の確信のなさを隠す為に知識人ぶるな!
人生の苦難や悩みにぶち当たった時、どれほど多くの学会員が御書と御指導を抱きしめ、泣くような思いで必死に題目をあげて乗り越えてきたか。境涯を開いてきたか。現実を真正面から見据えて、これほどまでに自分自身と格闘する強き生き方は他にない。それがどれほど尊い戦いか、師の弟子を思う愛情がどれほど深くて有難いか、真剣に自身と御本尊に向き合ったことのないお前には想像もつかないことだろう。ただ座して、ネットの借り物の情報(知識)を寄せ集めて学会員を欺くお前には思いもよらない真実の人間の世界が、学会員の言動の背景にはあるのだ。

>>ナチス高官であったアドルフ・アイヒマンは戦後に行われた裁判で、大量虐殺に加担した理由を「命令に従っただけだ」と主張した。彼は善良で真面目なナチス官僚であったのだろう。(小野)
>>ハンナ・アーレントはこの無思想ぶりを「悪の陳腐さ」として炙(あぶ)り出した。(小野)
●心が「曲がっている」から、自分についても、相手についても、正しく見ることができない。─師匠
お前は心底、人として腐っている。転倒した眼で、自分がどれほど野蛮な発想をしているか気付かないほど腐っている。三類の強敵とならざるをえない生命は、ここまで狂暴な発想ができるものなのか…。「頭破作七分」の恐ろしい人間だ。

>>羊千匹の存在が悪を助長させ、全体主義を加速させるのだ。(小野)
●自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん(p.6)
自分は善人で、本当に真面目で善良な学会員の方が悪人だとでも言いたいのか!?笑わせるな!
ネット社会の僣聖増上慢よ、お前のような卑しい人間は、清浄な創価の世界に断じて必要ない!

9月25日更新:2