真実一切衆生色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり


●それにしても自分から学会を出ていくなんて、あまりにも愚かなことです。後でどんなに悔やんでも悔やみきれません。(中略)生々世々(しょうじょうよよ)にわたって福運の道を絶ち、苦しみ抜かねばなりません。私はそれがかわいそうでならない。だから今その事を教えておきたいのです─戸田先生
●日蓮大聖人は、病床にある南条時光の父に対して、あたたかく励まされたあと、次のように厳しくご指導されている。
『一度は念仏を唱え、また一度は法華経を唱えるというように“二つの心”があってはならない。もし二心があって世間の風聞(ふうぶん)を恐れるようなことさえもあるならば、たとえ、あなたが臨終のさいに、日蓮の弟子ですと名のられても、決して梵天・帝釈天などは、用いられない。すなわち成仏はできないだろう。そのときになって、恨みに思ってはならない』(p.1498)
時光の父・南条兵衛七郎は、幕府の御家人(将軍譜代の家臣)であり、地頭でもあった。いわゆる世間体というものを強く意識せざるをえない──そうした立場にあって、時光の父は、ひとたびは大聖人に帰依(きえ)したものの、念仏を完全に捨て去ることができなかった一面があったにちがいない。大聖人の法門が正しいことはわかっている。しかし周囲の人々に、たとえば上司や親戚などから責められると、キッパリと言いきれない。そうした社会のしがらみに、ついつい流されてしまう。そうした状況であったかもしれない。
それを鋭く見ぬいておられた大聖人は、彼の立場は十分にご存じであられたが“信心に二心があってはいけない”“社会的立場や世間の風評に「心」をまどわせてはならない”“それでは絶対に成仏できませんよ”と厳しく戒められた。そして“信心の一念を決定(けつじょう)しなさい”と、時光の父の胸奥深くに、全魂こめて呼びかけられたのである。 (御指導、1988-06-19)
●あなたが信心に立ち上がれば、必ず、すべてが軌道に乗ります。信心が強ければ、周囲が、あなたの幸福の力となる。─戸田先生

10月4日更新:2