私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて

・斧節『時間論的アプローチ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111005/
●我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ人師の言語は無用なり(p.1278)!
●凡眼を以て定むべきにあらず浅智を以て明(あきら)むべきにあらず、経文を以て眼とし仏智を以て先とせん(p.1206)
師匠、大聖人の教えと全く違う我見説法はご勘弁。

>>死後に永遠はない。(小野)
●現代では「死後は完全な無」と考える唯物的思想が広まってしまっている。倫理とか道徳などが「口先」だけになってしまった根本の理由が、ここにあると私は思う。ドストエフスキーは傑作『カラマーゾフの兄弟』で、兄弟の一人イワンに、「神がいないとすれば、この世に犯罪なんてあるのか?『してはならない悪』など無くなるのではないか?」という思想を語らせている。「神」を「死後の生命」と置きかえても、同じことになるでしょう。だれもが“見つかりさえしなければ何でもする”という世界になってしまう。(『青春対話2』〈単行本〉池田大作)

10月5日更新:1