SGI会長は調和へ導く人 共生の文明を創造

【英知の光彩 名誉学術称号 受章の足跡 第6回 米デンバー大学 ナンダ副学長(国際法学者)】
──世界の大学は、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の平和・文化・教育の多大な貢献を評価し、名誉称号を贈る。しかし、それ以上に、その貢献の源となる会長の類いまれな人格を讃えての授章であることに、より深く注目すべきであろう。名誉博士号は原則として、各大学の卒業式で授与される。それは大学が卒業生たちに、受章者の事績に学び、社会貢献を、と願ってのものである。アメリカ・デンバー大学からの会長への授与は、その好例といえる。そこで同大学の副学長で、著名な国際法学者でもあるベッド・ナンダ博士にインタビュー。会長の思想と業績、そして人格に対する評価を聞いた。

SGI会長に名誉博士号が授与されたのは、1996年6月、貴大学の卒業式の席上でした。その折、SGI会長は、詩的なはなむけの言葉を卒業生に贈りました。
「太陽は燦々と輝いています。月もまた、皆さま方に輝いています。太陽は情熱。月は知性です。ロッキー山脈は厳然たる信念の姿で皆さま方を見守っています」と。このことについて、まず感想を伺いたいのですが〉
一つの即興詩ともいうべき簡潔なあいさつの中に、求められる文明の真髄、教育の真髄、デンバー大学の真髄、そしてデンバーという地域の真髄が語り尽くされていたことに、心を動かされました。
卒業式の終了後、リッチー総長(当時)も、私と同じ感慨を抱いておりました。「SGI会長は、卒業式という重要な場を通して、自然豊かなデンバー大学で学ぶことの意義と価値を、私たちに深く思い起こさせてくれました」と。
では、大自然を讃えたSGI会長の即興の言葉が、なぜ教育の真髄に触れた言葉でもあるのか。
それを語る際に、即座に想起されるのは、私が深く敬愛する祖国・インドの詩聖であり、偉大な教育者でもあったタゴールの思想と事績です。タゴール自身、自然豊かな大地に大学を建設しました。それは、「自然こそ偉大な教師である」との信念に基づくものでした。
自然は、私たちと共に生きる存在であり、そこから学ぶ存在であり、私たちに、あるべき生き方を教える存在です。征服したり、支配したりすることなど、決してできない存在なのです。
この自然の存在、あるいは自然の法則は、私たちに、「人間の世界」の正しい秩序についても教えてくれます。他の人種や文化に生きる人々を征服し、コントロールするのではなく、共生の道を探るところに、人類のあるべき未来も輝くのだ、と。

〈人間の欲望追及の一つの所産でもある科学技術の発展は、自然界を支配できるかのような錯覚をもたらしました。しかし、それが不可能であることは、東日本大震災をはじめ、昨今の相次ぐ災害でも明らかです。
SGI会長は、人間の利己的欲望という「小我(しょうが)」にとらわれた生き方ではなく、利他と共生に根ざした「大我(たいが)」の思想と精神を機軸に、新たな人類文明の創出を目指すべきであると訴えております〉
おっしゃる通りです。私は、異なる人種・文化がそれぞれの独自性を保持しながら他と共存することによって、世界は豊かな発展を遂げるものと考えております。
そこで何よりも大切なのは、小我の次元で自他を区別するのではなく、小我を越えた大我へと自身を高めていくことです。
SGI会長は、その確かなる視座に立ち、多様性をたたえた調和の世界を築くために、私たちが何を目指すべきかを明確に示しておられます。この一点に、私は心からの共感を覚えたのです。
同時に、このSGI会長の説かれる大我の思想と精神こそが、「人間を真に人間たらしめる」ための基盤となるものです。その基盤の上に、“人類は一つの家族である”との認識ができれば、私たちは自ずと平和を希求し、核兵器のない世界も指向することができるのです。

〈ナンダ博士とSGI会長との初の出会いは、1994年12月のことでした〉
創価大学での「第九」の演奏会にSGI会長と共に参加できたことは、忘れ得ぬ思い出となりました。学生たちの熱演に真剣に聴き入るSGI会長の姿、心からその場に身を置く姿、そして楽しみ切る姿に深い感動を覚えたことが、今なお忘れられません。
さらに、演奏会に先立ち、懇談の機会を得た折、SGI会長の一言一言がまっすぐに私の胸に響くものであったことも、新鮮な驚きでした。
SGI会長は、青年たちに自身の思想を正しく伝える卓越した能力を備えております。それは、常に青年に心を開き、成長を願い、青年たちと対話を交わしてきた賜であると思うのです。
実際、創価大学創価学園での式典で、SGI会長のスピーチに耳を傾ける学生たちの瞳の輝きは、深く私の心に残りました。そこには、SGI会長の一言一言を全身全霊で理解しようとする、一生懸命な姿勢がありました。
SGI会長が青年に勇気と確信を与え、青年が情熱と決意でそれに応える──その師弟の交流の中に、未来は大きく開かれていくのです。
私たちの大学では、学生たちが人生の模範として尊敬できる国際的な著名人や指導者に、名誉博士号を授与してきました。その上で、教育への関心が高く、学生たちを力強く啓発できる指導者こそが、最もふさわしいと考えてきました。
日本でのSGI会長との出会いを通して、私は、この人こそ理想の受章者であると思ったのです。

【世界はなぜ讃えるのか 解説】
「人々へのこまやかな思いやりに感動しました。同時に不正や横暴を許さぬ正義の怒りに共感しました」──池田SGI会長に初めて会った時(1994年)の、ナンダ博士の印象である。
“思いやり”と“怒り”は、一見して矛盾する心の所作である。だが、著名な国際法学者の眼には、それこそが全体人間を育む不可欠な要件と映った。「思いやりなき正義の怒りは、得てして自己正当化への怒りへと堕し、自他共に破滅へと導く要因となる。逆に、他者への深い思いやりに根差してこそ、正義の怒りは社会の変革への英知の源となる」からだ。
この博士の信念は、少年期の、独立をめぐるインドとパキスタンの対立の悲劇の体験に基づいている。なぜ、宗教を理由に、人間が迫害しあうのか。宗教は本来、人間と人間を結ぶ力ではないのか、との思いに発したものなのである。
それだけに博士は、全体人間としての豊かな人格を備え、人種や文化の差異を超えて、対話で人々を結ぶSGI会長に賞讃を惜しまない。
卒業式でSGI会長に名誉博士号を授与したリッチー総長も、若き日に正義の怒りを燃焼させた一人である。ハーバード大学での学生時代、総長はアジアからの留学生による祖国の民主化運動を支援。活動への献身が高じて授業への出席日数が足りず、落第すれすれの憂き目に──。
だが、その正義の怒りに共感した担当教授の、早朝の個人教授という特例の配慮を得て無事に卒業。やがて、実業家として大成する。学生の正義の怒りが、教授の深い思いやりに育まれて、見事な創造の人生を開いたのである。
リッチー氏は1989年、デンバー大学の総長に就任、2005年に退任するまで無給で奉仕。大学の発展のためにと、私財を惜しみなく注ぎ続けた。大学時代に得た担当教授の思いやりに対する、せめてもの恩返しに、と。
その原体験ゆえに氏は、創価学会の三代会長の正義の実践の価値と、師への報恩に貫かれた師弟の共戦の意義に深い理解を寄せる。
SGI会長に対する名誉博士号の授与は、自らも高い理想に生き抜いた学識者たちが贈る、美しき人間共感のエールでもあるのだ。
(聖教新聞 2011-10-25)

10月25日更新:5