相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからず(p.892)

●「三障四魔」とは、正法の実践をさまざまな形で邪魔する働きで、具体的には、修行の妨げとなる三障(煩悩障、業障、報障)と、修行者の内側から生命力を奪う四魔(陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔)である。「元品の無明」(=生命の根本的な迷い)から発する「第六天の魔王」が、病や死、また父母や権力者の身に入る形をとって、「粉然として」仏道修行を妨げる。 (『御書をひもとく 要文123選』 創価学会男子部教学室編)
●しかし、これに随(したが)ってはならない。恐れてはならない。これに随えば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することの妨げとなる (御書1087ページ、通解)
●伸一は、懇談会の全参加者に言った。
「私は、本来なら、会員の皆さんのお宅を一軒一軒訪問し、共に勤行もし、語り合いたいんです。特に、さまざまな悩みをかかえて苦しんでいらっしゃる方とお会いし、肩を抱き、生命を揺さぶるように、励ましたいんです。みんな、大切な仏子だもの。
その時間は、なかなか取れませんが、それが私の心です。また、それこそが、初代会長の牧口先生以来の、会長の心なんです。」 (「新・人間革命 福光二十」聖教新聞 2011-09-24)
●妙法は、究極の生命の太陽だよ。いかなる人生の闇も晴らし、一家眷属を照らしていける。『百発百中』の変毒為薬の大功徳は必ず現れるよ─戸田先生

10月28日更新:1