結局のところ、外道は仏教に入るための教えである

【御聖訓】
●いわゆる模範的な善い外道の修行者は、五戒(※1)や十善戒(※2)などの戒律をたもち、煩悩を断ずることができない不完全な瞑想を修行して、色界無色界(※3)を極め、その最上界(非想天)を涅槃(悟りの安穏の境地)と立てて、尺取り虫のように一歩一歩修行して登っていくけれども、非想天から、かえって三悪道(※4)に堕ちてしまい、一人として天界にとどまる者はいない。(中略)
しかしながら、外道の法は95派あるが、それらの修行では、善い外道であっても、悪い外道であっても、一人として生と死をくり返す迷いと苦しみの流転から離れることはできない。
善師につかえても、二生(にしょう)、三生等の後には悪道に堕ち、悪師に仕えては、次の生を受けるごとに悪道に堕ちていくのである。
結局のところ、外道というものは仏教に入るための教えであり、このことが外道のもつ最重要な意義なのである。 (御書187ページ、通解)
※1 「五戒」─不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒の五つの戒。この五戒を守れば、次の生も人界に生まれるとされた。
※2 「十善戒」─殺生・偸盗・・邪婬・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚癡の十悪を禁ずる戒。十善戒は天界に生まれる因とされた。
※3 「色(しき)・無色(むしき)」─衆生が輪廻する世界である三界(欲界・色界・無色界)のうちの二つの世界。色界は、欲望に束縛される欲界を離れるが物質の制約が残る世界。無色界は欲望と物質の制約を超越した純然たる精神世界であるが、輪廻を免れない。
※4 「三悪道」─地獄・餓鬼・畜生という3種の苦悩の境涯。

・『瞑想行で煩悩を断つことはできない』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20110917/

・『宗教には高低浅深がある』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20110918/

・『厳たる実証』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20110922/

10月27日更新:3