信の一字を究極とする(御書339ページ)

2011年11月10日(木)更新:2

●仏は一切衆生の幸せを祈る。一切衆生の幸福を開くために闘う。一切衆生の親なのです。その仏の心を「信じれば」、自分の「智慧」が開けてくるのです。それが法華経における「信解(しんげ)」です。 (『法華経智慧 第二巻』池田大作)
●小欲知足(しょうよくちそく)は大切だが(笑い)、正法に対しては貪欲であらねばならない。欲を消し去るのではない。何を欲するかが大事なのです。「煩悩即菩堤」です。無上の悟り、菩堤を求める欲は、即ち菩堤となる。
“自分は、この程度でいいのだ”というのは、謙虚に似て、実は、生命の可能性を低く見る大慢なのです。(同)
●仏法とは「魔との闘争」なのです。魔との戦いを離れて、悟りはない。歓喜はない。人間革命はない。仏法はない。命をかけて魔と戦わなければ仏にはなれないのです。 (『法華経智慧 第4巻』池田大作)