阿羅漢に似た一闡堤の者(御書225ページ、通解)

2011年11月21日(月)更新:2
・斧節『宮田論文に関する覚え書き 2』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111118/
>>牧口にとっても国際連盟は大国 〈その一つに日本も含まれるということが牧口の議論を危うくさせているのだが〉 (宮田氏)
>>これは池田大作国際連合を中心に人類益を実現しようという考えとは異なる。(宮田氏)
●「文字の法師」とは、内心に智慧をもって経教(きょうぎょう)の義意(ぎい)を理解しようとするのでなく、ただ教えの解釈に終始する者をいう。(御書228ページ、通解)

>>これは知らなかった。まったくの初耳である。それにしても明治人の見識には驚かされる。福沢諭吉勝海舟が代表格だが、今時の政治家や官僚が束になってもかなわないことだろう。たぶん不平等条約が日本人の国家観を際立たせたのだろう。(小野)
●こびへつらう人間(御書1095ページ、通解)
●表面はなごやかだが、陰にまわって人を陥れる者(同)

>>現在の国連も第二次大戦の戦勝国常任理事国を占め、拒否権を行使しながら国益の網引きを行っている。国連はルワンダ大虐殺の事実を知りながらも完全に無視した。(小野)
●問題は、僣聖増上慢は、つねに“人権の味方”であり“民衆の味方”という仮面をかぶっていることです。 (『法華経智慧 第三巻』池田大作)

>>国連支援が一定のアドバンテージになることは理解できるが、あまり肩入れすべきではないというのが個人的な考えだ。(小野)
●常に多くの人々の中で、正法の行者を謗(そし)ろうとして、国王や大臣や婆羅門や居士(こじ)、およびその他の僧に向かって、正法の行者を謗(そし)って、悪口(あっこう)し、“この者たちは邪見の人であり、外道の論議を説いている”と言う(御書224ページ、通解)
法華経の行者と直接、対決するのではない。つねに裏であやつろうとする。それが僣聖増上慢の「くせ」です。仮面をかぶった生き方が身についてしまっている。本当は臆病なのです。そこで世間に向かって、また権力者や社会の有力者に対して、法華経の行者の誹謗・中傷を繰り返す (『法華経智慧 第三巻』)
●師の教えが生ぬるいと批判し、教団内での自分の地位を高めるための策略 (同)

ここで言う「法華経の行者」・「正法の行者」とは、もちろん池田先生のことである。宮田氏の記事を都合よく利用しながら、牧口先生の論に媚び諂い、巧妙かつ陰険な物言いで師匠を貶めるその様は、まさに恩知らずの卑劣な畜生だ!