御供養の精神を学ぶ

2011年11月27日(日)更新:6
【教学 門下の尊い心を讃嘆(さんたん)された大聖人】
〈「真心の志」が大切〉
『凡夫は志(こころ)ざしと申す文字を心へ(得)て仏になり候なり』(白米一俵御書、御書1596ページ)
●大聖人のもとに届けられた御供養の品々。その一つ一つに込められた“大聖人を支える力になりたい”との門下の思いを大切にされ、最大に賞讃された大聖人の姿が浮かび上がってきます。
御供養の根本は、「真心の志」にあるのです。

〈計り知れない功徳が〉
『ひとつ(一領)のかたびら・なれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至(ないし)無辺の衆生にも・をよぼしてん』(さじき女房御返事、御書1231ページ)
●「妙蜜上人御消息」では、大聖人が法華経の題目を弘められていることを踏まえた上で、「便りのたびに銭5貫文(かんもん)の御供養を送ってくださるあなたの真心は、日本国の法華経の題目を弘めている人に相当します。国中の多くの人々が題目を唱えるならば、思いがけなくもその功徳があなたの身に集まることでしょう。その功徳は、大海が露を集め、須弥山(しゅみせん)が塵を積むようなものです」(同1241ページ、趣旨)と述べられています。
広宣流布のために御供養することは、“一切衆生の幸福の実現”を進めることにほかなりません。ゆえに計り知れない功徳が具(そな)わるのです。

〈謗法への布施を止めよ〉
『まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候』(窪尼御前御返事、御書1486ページ)
●広布を破壊する「破和合僧」の大罪を犯した日顕宗に供養すれば、功徳を得るどころか、かえって悪道に堕ちることは御金言に照らして間違いありません。「謗法への布施を止める」ことこそ、大聖人のお心にかなった実践なのです。

《徳勝童子 仏に砂の餅を捧げ大王に》
●松野殿に送られたお手紙では、「昔(むか)し徳勝童子と申せしをさなき者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育(あそか)大王と生れて閻浮提(えんぶだい)の主と成りて結句は仏になる」(御書1380ページ)と仰せです。
いうまでもなく、土の餅は食べることができません。しかし、仏に対する真心からの御供養であったゆえに、大王となって生まれたのです。

《学会指導から》
学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のためのものである。大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。ならば、これに勝る大功徳もないはずである。
そう思うと、伸一自身、一人の学会員として、その機会に巡り合えたことに、無量の福運と喜びを感じるのであった。
この御書(「衆生身心御書」)では、最後に、身延の山中に供養の品々を送った一人の門下の志を讃えられて、次のように述べられている。
「福田(ふくでん)によきたねを下(くだ)させ給うか、なみだもとどまらず」(御書1596ページ)
〈福田に善根の種を蒔かれたのか。厚い志に涙もとまらない〉
広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである――それは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。 (小説『新・人間革命』第4巻「凱旋」の章)
◇ ◆ ◇
日蓮大聖人は、お米やお酒など、真心の御供養を捧げた門下に対し、「民の骨をくだいてつくったような貴い白米」(御書1390ページ、通解)等と、最大の礼を尽くして感謝を述べられた。
戸田先生は、この御聖訓を引いて、次のように力説された。
「何と人民の苦労をわかってくださる崇高な大慈悲の御精神であろうか。この精神で、我らも、同志を最大に大切にするのだ」
広布へ進む尊き同志に、最敬礼する思いで尽くしていくことだ。
全同志が功徳を受けて裕福になるよう、一切無事故で前進できるよう、リーダーは真剣に祈ってまいりたい。 (2009・12・27付、全国代表協議会でのスピーチ)
(聖教新聞 2011-11-07)