海に潜り続けて生死と向き合いながら、生きる使命と命の尊さとを知る

2011年12月2日(金)更新:4
【東北福光新聞 第16号】
●それまでなら、海に潜れば、わずかでも光を感じられた。ところが、この震災が起きてしばらくは、海底に溜まっていた汚泥が拡散したせいか、視界はゼロ。海中は完全に暗黒の世界になったという。
●「おっかねえなんてもんでねえよ。何にも見えないんだ。こんな怖いことはない。潜ったら一人だしね、何にぶつかるか分からない。怖さが全然、違うんだ」
●船上と水中電話で交信できるとはいえ、誰も頼れる人はいない。両手の触覚に全神経を集中させて、あとは自分で判断するしかない。心をしっかり保たなければ、深い闇に取り込まれそうな気がする。
●あの津波の光景は、まぶたに焼き付いて離れない。海に入る瞬間、全身が恐怖で震えた。
●海底で人間の生死(しょうじ)を見つめながら、地上で生きる一日一日の尊さを感じる。人間は生きている限り、一日また一日と、何が使命を果たさなければならない。
「でもね、海の中より、陸に上がったときのほうが、真っ暗なところで手探りしているようで、本当につらかった……」
●「一人になると寂しいんですよ」
皆で一瞬にいた避難所から仮設住宅や借り上げアパートに移ると、一人になる時間が多くなる。身内の死の悲しみ、生活の再建、将来の不安……。精神的にも生活的にも苦しくなる。
大坂さんは、内海さんに思いをひとしきりに語った。内海さんを見送った後、そっと付け足した。「内海さんは、俺の気持ちを一番、分かってくれてるよ。恥ずかしいから、なかなか面と向かっては言えねえけどね」
その目には、もう一度、何かをなそうという決意の光がよみがえっている。
内海さんの励ましの光は確かに届いていた。

●大切な家族を失った友の悲しみは、仕事や家など生活の基盤を失った人の不安は、簡単に癒やせるものではない。
夫妻は、友のもとへ何度も通った。話に耳を傾け、寄り添い、励まし続けた。
「少しでも勇気を送れるなら」と、全国大会に向けて民謡の練習も再開した。
●雨の日も風の日も、豊作業に出ては力強く口ずさむ男たち。思うに任せない生活の中にあっても、明るい歌声を忘れない母たち。
東北の人々は、互いに支え合い、そのなりわいを営んでいくために「歌」を必要とした。厳しい自然に立ち向かい、自然と共に生き、その自然の恵みを受ける中で、民謡は歌い継がれ、育まれてきたのである。
ただ歌うのではない。“訴(うった)う”のだ。強く生きよう、共に前に進もうと、我が胸に、聴く人の心に、訴えるのだ。 (聖教新聞 2011-12-01、以下同)

【舞台は地球 輝くSGIの友 使命の道で花開く 世界的アトラクション「マダム・タッソー」の彫刻師】
●「仕事で結果を出し、師匠・池田先生のおられる日本を訪問できたことが、本当にうれしい!」。そう語る笑顔には“使命に生きる喜び”があふれる。
だが、若き日のコーミカンさんを知る人が見たなら、驚くに違いない。“いつもふさぎこんでいたあのころの君は、どこへ行ってしまったのか?” と。
──他人と比べては自らを卑下し、自信を失う。その繰り返しだった。高校は卒業したが、大学へ進学する意欲も、働く気力も湧かない。
そうした日々を変えたのは、映画の特殊メークとの出あいだった。1985年、友人に誘われて働き始めた会社で、初めて携わった日の興奮。“こんなに面白い世界があったんだ!”
コーミカンさんは、これまでの空白を埋めるかのように、仕事に熱中する。創造の喜びが、心を満たした。
だが、仕事を離れると、また空虚な気持ちが込み上げてくる。自分の人生に、一体、何の意味があるのか──そんな自問を繰り返してしまう。答えを見出だせないまま、コーミカンさんは懸命に腕を磨き、やがて自らの会社を立ち上げた。
信心に廻り合ったのは、そんな時。会社の隣の店の窓から、何かに向かって祈りを捧げる女性の姿が見えた。何をしているのか尋ねると、「世界平和と個人の幸福を実現する、仏法を実践しているんです!」との答え。
詳しく話を聞くと、道理にかなった実践に、心から納得できた。それ以上に、複雑な対人関係の悩みを抱えながらも、“最後は絶対に勝つ”と信じて疑わない彼女の姿が、コーミカンさんの心をとらえた。92年7月、信心を始める。
「この信仰に励めば、思い通りの人生を歩んでいけます」。先輩の指導通りに実践を続け、祈りがかなうのを目の当たりにして、確信を深めた。日々を嘆いてばかりいた心に“この信心で人生を切り開く!”との決意がみなぎっていった。
「それまでホラー映画の仕事ばかりしていたのに、信心を始めて数週間がたったころ、突然、童話作品を扱う会社から仕事の依頼がくるようになったんです。心に希望が芽生えるのと時を合わせて、仕事も軌道に乗っていきました」
●「だれもが、人間として、人間らしく開花し、人間としての使命をまっとうしていく権利がある」──心に深く刻んできた池田SGI会長の指導を思い出しながら、制作に取り組んだ。
無事に完成したフィギュアは多くのメディアで紹介され、観客の目を楽しませている。
「この信心と池田先生の励ましがあったから、私は自らの使命の道を切り開くことができました。どんな時も可能性を信じてくれる師匠がいるから、私は前進することができるんです」
穏やかな口調だが、その言葉の一つ一つには、“どんな状況にあっても、必ず勝利する”との強い闘志がみなぎっていた。

【多宝ここにあり “復興の光”を胸に 学会家族はどこも温かい】
●でも、気付いたことがあるんです。加須にきた次の日には、こちらの同志の皆さんと題目をあげました。うれしかったなあ。すぐに心が打ち解けた。
みんな、「双葉の方の頑張られる姿に勇気が出ます」ってね。その笑顔に私が元気をもらうんです。
学会家族ってどこにでもいてくれるんだ。あったかいなあって。
毎朝、学校の周りを散歩するんです。朝焼けに輝く一本道を歩きながら、心の中で題目を唱える。そうすると、思うんです。
“ああ、この道は未来の使命に続く道だ”って。これまでも、全て信心で乗り越えてきました。だから、この先も怖くない。
学会の総本部ができる2013年、私、80歳になるんです。人生の節目に学会の節目が来るなんて、成長するチャンス! 必ず、人生を勝ち開いてみせるからね。