SGI会長の「開かれた精神」を尊敬

2011年12月11日(日)更新:4
【英知の光彩 名誉学術称号 受章の足跡 第8回 香港大学 王庚武 元学長(歴史学者)】
アジアを代表する世界的名門・香港大学。世界の主要な大学を評価する調査でも、常にアジアでトップクラスの実績を誇り、超難関の入学試験を合格した最優秀の学生が集まる。留学生も数多く、英知の交流の一大拠点である。この最高峰の学府が、池田SGI創価学会インタナショナル)会長に「名誉文学博士号」を授与したのは、1996年(平成8年)3月14日。その前年まで香港大学の学長を務め、SGI会長と友誼の語らいを重ねてきたアジアを代表する著名な歴史学者・王庚武(ワン・ガンウー)博士にインタビューした。

〈王博士と池田SGI会長は、これまで8度の出会いを重ねてこられました。どのような印象をお持ちですか〉
創価大学を初めて訪問した際、池田博士と私は、長時間、歴史について語り合いました。池田博士の現代史への知識と理解は、とても啓発に満ちたものでした。
また、教育の目的についても話し合いました。
一つの一致点は、「教育とは、人間の心を開くものである」ということでした。
私は、創価大学の伝統を深く尊敬しています。それは、世界に開かれたオープンな精神であり、国際社会に対して責任感を持って関わっていく精神です。
香港大学は今年、創立100周年の佳節を迎えましたが、創大のこの精神は、香港大学と共通するものです。

〈王博士は、SGI会長を香港大学名誉博士として推薦されました。大学での決定の経過を教えてください〉
名誉博士号の授与を決定するにあたり、教育者として、また道徳的に高貴な人物として、池田博士のことを大学の関係者に正しく認識してもらうことは、何ら難しいことではありませんでした。
池田博士が成し遂げてこられた、類いまれな業績は、すでに世界的に認められていたからです。
当時、香港は「中国返還」という歴史の重大な過渡期にあたっていました。
その中で、多くの香港の人たちは、中国がより開放され、当時の科学技術の最高水準にまで発展することを、心から望んでおり、そのために役に立ちたいと願っていたのです。
そうした香港の人たちの建設的な熱意を深く理解し、励まし、支えてくださったのが池田博士でした。
香港の中国返還に対する博士の功績は、大いなる賞讃に値するものです。

香港大学の誇るべき伝統とは何でしょうか〉
私が香港大学の副総長(学長)に就任したのは1986年(昭和61年)でした。
大変に名誉なことと思い、香港大学をアジアの中で最も質の高い大学にするために、ベストを尽くしていくことを決意しました。
すでに当時、香港大学は、学部教育においては、優れたレベルを維持していました。それゆえ、私は、香港大学を卓越した研究センターにするため、大学院など学術面での充実に専念してきました。
幸いにも、香港政府の協力で財政的に安定しました。
香港大学を世界的な学府へと高めていくために、大学の教職員や学生たちが果敢に挑戦し、貢献してくれたことに大変に誇りを抱いています。

歴史学者として、SGI会長の思想と行動を、どのように見ておられますか〉
池田博士と創価学会は、アジアの伝統における最も重要な価値のいくつかを堅持しておられます。
私たちが近代化を進めていく場合、私たちの文明の奥深くにある“根っこ”を忘れてはいけません。
池田博士は、私たちの伝統的精神を現代の最新の思想といかに調和させていくかを、明快に示すことができる人物の一人です。
その「調和の精神」によって、過去に争い合った人々をも和解に導いていかれます。
とりわけ、池田博士は、そのエネルギーを、中国と日本の間に友好を結ぶこと、そして国連の強化・活性化に向けてこられました。
真の指導者とは、人々に「ビジョン(展望)」を示せる人です。そのためには、「歴史」に目を向けなくてはなりません。
歴史とは、単なる過去ではなく、現在から過去をどうとらえるか、そして、過去を、どう追及し、理解し、現在に生かすかという、過去と現在の相関係数にその本質があると思います。
このように過去を見つめつつ、現在を生きることの大切さを思い起こさせることによって、池田博士は、未来を担う世界の青年たちに、大きな力を与えているのです。
博士の平和に対する功績は卓越しています。
その目的への深い献身に対して、私は最大の敬意を表しております。
池田博士のような人物が増えれば、すべての人はもっと幸福になるはずです。 (聖教新聞 2011-12-09)

【世界はなぜ讃えるのか 解説】
昨年80歳を迎えた王庚武博士が自らの学究の人生を振り返り、創大関係者に語った。
「自分が生きている間に、米中ソが和解する時代が来るとは、歴史を研究している私にも想像できませんでした。それをSGI会長が確信していたということが本当に驚きです」と。
国家間の激しい対立の時代に、なぜ、SGI会長は、和解と強調の時代を着想し得たのだろうか。
一つには、SGI会長の「民衆根本の発想」が挙げられる。
もはや政治家だけに未来を任せてはならない。民衆が賢明になり、国境を超えて、世界の民衆と交流し、平和の潮流をつくり出していくべきである──SGI会長は、この信念で、民間外交を展開。中国へは10度訪問し、対話の相手は、国家の指導者から町をゆく市民にまで及んだ。大誠実で民衆同士の心を結び、嵐に揺るがぬ友好の土台を築いていった。
また「教育根本の発想」が挙げられよう。
1974年(昭和49年)、SGI会長が、当時鋭く対立していた中国とソ連を相次ぎ訪問したときのこと。モスクワ大学の総長室の壁に、モスクワ大学の校舎を描いた織物が飾られていた。それは北京大学から贈られたものだった。
それに目をとめたSGI会長は「政治の世界では厳しい対立があるが、学問の世界に国境はない。教育の世界の友情は永遠である」ことをあらためて確信し、大学間の交流に力を注いでいく。現在、創価大学の海外交流校は、46ヵ国・地域133大学を数える。
香港の「中国返還」(97年)に対するSGI会長の貢献も特筆される。
70年代の終わりから80年代にかけて、中国とイギリスの間で交渉が始まると香港の人々に動揺が広がった。SGI会長は、中国の首脳と語らいを重ねてきた経験から、確信を込めて、「まったく心配はいりません」「ますます発展するでしょう」と香港の友に語った。
さらに91年から毎年、香港を訪問。返還の5ヶ月前には、香港で100ヵ国・地域のメンバーによる世界青年平和文化祭を開催するなど、香港の友に自信と安心を送っていった。
香港基本法の起草委員を務めた中国の文豪・金庸氏は、「(返還を)精神面で支えてくれたのが池田先生です」と語っている。
香港大学名誉博士号の授与式の際、SGI会長への授与理由が読み上げられた。
SGI会長は、日本の国境を超えたところに目を向けてこられたのです。創価学会の運動の目的は、『真のコスモポリタン世界市民)』、すなわち外の世界へと開かれた視野を持っている個人を育むことであります」と。
世界の港・香港の最高学府が「模範の世界市民」と認めた人物こそ、SGI会長であった。 (同)