油断や慢心は大敵!清新な決意で前進を

2011年12月11日(日)更新:5
【人生を生き抜く羅針盤 たゆみない成長 立ち止まれば後退が始まる】
〈自己投資に励む若者たち〉
近年、ビジネスパーソンや若者の間で、「自己投資」や「自分磨き」といった言葉を耳にします。
リクナビNEXT」が今年1〜3月に行った調査結果では、直近1年間で、キャリアアップのために「自己投資していた人」は29.5%、自己投資の平均金額は25万円となりました。
自己投資の内容は、「資格取得」(62.2%)が最も多く、次いで「英語」(25.6%)、「PC(パソコン)スキルアップ」(18.4%)となっています。また、今後、キャリアアップのために自己投資をしたいと考えている人は81.0%に上りました。
こうした動きの背景には、長引く不況や雇用情勢の悪化などが影響しています。
日本の終身雇用制度が崩壊しつつある今、「頼るべきは自分の力だけ」との危機感を抱く人も増えています。MBA経営学修士)や高度な職業訓練の志願者が、不況下でも増加しているのは、その表れともいえるでしょう。
時代を生き抜くためには、自分の得意分野や武器を持ち、人間としての魅力を高めていくことが重要だともいわれており、日々成長する必要性を多くの人が実感しています。

〈仏法は「仏と魔との闘争」〉
日蓮大聖人は、人間の「無限の可能性」を説き、あらゆる人が幸福境涯を開いていける方途として南無妙法蓮華経の唱題行を説き顕されました。
大聖人は門下に送られたお手紙で、「いよいよ」「なをなを」といった言葉を使われ、「日々前進」「日々成長」の重要性を教えられています。
とともに、「月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がその隙につけこんでくるであろう」(日蓮大聖人御書全集1190ページ、通解、以下も)、「以前よりも百千万億倍、用心していきなさい」(同1169ページ)等と述べられ、油断や慢心を排す心構えについて強調されています。
人生には、さまざまな誘惑や思わぬ落とし穴が待ち受けています。
「建設は死闘、破壊は一瞬」という言葉もあるように、油断すれば、たちまち荒波にのみ込まれ、転落してしまうのが人生です。
現実世界には、人間を不幸にし、社会を混乱させる魔性の働きが渦巻いています。仏法は「仏と魔との闘争」であるとし、その魔性に打ち勝つ力が人間の生命に本来、具わっていると説きます。そこに全て起因するがゆえに、大聖人は信心によって心を変革し、自身の慢心や甘えを排して、常に前進する重要性を訴えているのです。

〈細心の注意と人一倍の努力で〉
反対に、前進への姿勢や挑戦を忘れた時、その心のゆるみの隙に、障魔はつけこんできます。
人間はともすれば、「これまでが大丈夫だから、これからも大丈夫だろう」と勝手に思い込みがちです。物事を甘く見るところから慢心は生じ、油断が生まれます。
大聖人は、敵に狙われていた門下の四条金吾に「敵というものはその存在を忘れさせて狙うものである」(同1185ページ)と訴えられました。さらに、“旅に出る際は、丈夫な、よい馬に乗るように”などと具体的に、こまやかな心遣いをされています。
仏法はあくまでも道理です。「信心しているから守られる」というような安易な考えはありません。
むしろ、信心しているからこそ、細心の注意を払い、智慧を働かせ、人一倍努力していく。また、自分だけでなく、周囲の人々にも声を掛け、注意を促すことで、さまざまな問題を未然に防ぐことができます。
具体的な行動や指導があってこそ、人々の意識も変わります。リーダーがそうした賢明さを持ち、常に成長の意欲を持っていれば、組織や団体も時代の変化に敏感に対応していけるでしょう。
池田名誉会長は語っています。
「たとえ、一時は、成功をつかんだかのように見えても、油断したり、立ち止まってしまえば、すぐに後退が始まる。敗北に向かって落ちていく。『進まざるは退転』なのです。前進し続ける人が、真実の成功者です」と。
師走を迎え、今年も残り3週間。自身の油断を排し、細心の注意を払いながら、“昨日よりも今日”“今日よりも明日”と、向上の人生を歩んでいきましょう。

[理解のために 「三障四魔」とは?]
仏法では、仏道修行に励む中で、その前進を阻もうとする働きを「三障四魔」と説いています。
「三障四魔」とは、三つの障りと四つの魔をいいます。
具体的に、三障には煩悩障・業障・報障があります。「煩悩障」とは、貪りや瞋(いか)り、癡(おろか)など、自身に具わる煩悩によって起こる障りをいいます。「業障」とは、自身の生命に刻まれた悪業によって起こる妨げ。「報障」とは、悪業の報いとして現世に受けた境涯が仏道修行の妨げとなることを意味します。
四魔とは、法華経の行者の内側にある妙法の当体としての生命の輝きを奪う働きをいい、陰魔(おんま)・煩悩魔・死魔・天子魔があります。
肉体や心といった五陰(ごおん)の不調和によって、仏道修行が妨げられる「陰魔」。煩悩によって信心を破壊する「煩悩魔」。仏法を実践する者の生命が奪われたり、信仰者の死によって周囲に信心の疑いが生じたりする「死魔」。そして、三障四魔の中でも最も恐ろしいのが「天子魔」です。天子魔は、「第六天の魔王」による働きであり、権力者の身に入るなど、あらゆる力をもって信仰者に迫害を加えてきます。
魔は、妻子や父母、国主といった人の身に入り、信心に励む人々を邪魔します。日蓮大聖人はその時にこそ勇気の信心を奮い起こして立ち向かっていくことで、何ものにも負けない強い境涯を築くことができると教えられています。 (聖教新聞 2011-12-11)