悪いものは読めないよ。頭が腐るから─武者小路 (寸鉄 11/24)

2011年12月26日(月)更新:5
・斧節『矢野本を推す』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111217
>>私と同世代で青年部の中堅幹部を務めた者であれば、様々な疑念が氷解することだろう。(小野さん)
>>是非とも感想をアップしてもらいたい。ま、創価学会員でこの本をきちんと読める人は稀だ(小野さん)
●法師は心がひねくれて人々の心を惑わせている。王臣は無知のため、邪正を弁えない(御書21ページ、趣旨)
●悪知識は無量の善身 無量の善心を壊(やぶ)る(同65ページ)
反逆者の本質を見極めよ! 自らの悪事を隠すため、卑劣にも、先生・学会を攻撃して自己正当化・保身に走る悪本じゃないですか!
・『反逆者の構図』 http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20120712/
・『堕ちた元委員長 127 矢野絢也の執筆手法』 http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20120320/
・『かまへて・かまへて御用心候べし(p.1133)』 http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20110811/

>>年が明けたら、私も詳細にわたって所感を綴る予定である。(小野さん)
断じてお断りします!!
●もし法華経が説かれないならば、どんなに家柄が高く大聖といわれていても、だれが敬うだろうか。夏の桀王、殷の紂王というのは、万乗の主であり、土民の帰依するところであった。しかれども、悪政のため世をほろぼしてしまったので、今日でも悪人の手本には桀紂桀紂というではないか。国王であっても、無徳なら、だれもあがめることはないのである。(御書204ページ、通解)
●法にはずれた行動をする人は、人から尊敬されません。その資格、地位にふさわしい人格、実践者でなければ、軽蔑されるだけです。日蓮大聖人は、ここで、王であっても悪王であれば尊敬されない例を引かれて、そのことを指摘されています。また、妙法を離れては、どのように高名な弟子、智徳すぐれた弟子も、人々から敬われないと述べられています。人々から仏弟子として尊敬され、その指導、発言が重んじられているのは、ひとえに、妙法の力によるのです。私達はここから、それぞれ、幹部として後輩から慕われ、生きがいをもって毎日を送れるのも所詮は妙法の力、学会の力によるのであるということを、決して忘れてはならないと思います。妙法の法則にかなっているからこそ尊敬されるのであって、思い上がった態度は、絶対にあってはなりません。それでは、心ある後輩から軽蔑されるだけです。どのような高位にあっても、道理にはずれたことをする人は、どうして民衆の共感をうることができましょうか。寝食を忘れても国民の幸福を考えるべき政治家の、現実の姿を見れば、それはよくわかります。桀紂の例をお引きになっていますが、私達も民衆救済、妙法流布の精神に反しては、喜んでついてくる人はなく、組織にスキマ風が吹くことを知らねばなりません。卓越した法を人に体現する――すなわち、妙法の指導者として恥ずかしくない実践を、自ら踏み行う誠実な姿の中に、組織の発展も勝利の因もあるのです。(単行本『きょうの発心』)