強靱な非暴力の実践が人格を磨き、その先に世界平和への道が広がる

2012年1月16日(月)更新:2
【名字の言】
 友人と散策していたミケランジェロが、草原に大理石を見つけて叫んだ。“この中に女神が生け捕りにされている!”。友人は呆気に取られただろう。ミケランジェロはその後、アトリエで丹念に鑿(のみ)を振るい、見事な女神の像に刻み上げたという
 これは、下村湖人の名作『次郎物語』に出てくる。主人公の少年・本田次郎に、彼の慕う朝倉先生が語った逸話だ。この話を通して、周囲と衝突しがちな本田少年を諭した。――人間の本心はみな美しい。例外はない。ミケランジェロが石の中に女神を見たように、相手の外見にとらわれず、心の美しさを見いだせるか。それには自分の心を磨くしかないのだ、と
 不軽菩薩を思い浮かべた。不軽とは釈尊の過去世の姿。“どんな人にも仏性はある。決して軽んじたり侮ったりしない”と、人々への礼拝の修行を続けた。驕った人々に悪口や暴力で返されても、貫き通した
 どんな人も、一人の人間として尊重する。しかし、どんな圧迫にも、信念を曲げずに貫く。この強靱な非暴力の実践が人格を磨く。その先に世界平和への道が広がる
 御書に「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」(1174ページ)と。心の眼を磨き、信念を語り抜いていきたい。誠実に。恐れずに。(聖教新聞 2012-01-16)