「心の財」を積みゆく日蓮仏法

2012年2月16日(木)更新:1
・斧節『現代社会における教義』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120213/
●人師にあやまりあらば経に依れと仏は説かれて候(御書1155ページ)
●2月16日は、日蓮大聖人御聖誕の日。貞応元年(1222年)に、大聖人が安房国(今の千葉県南部)で出生されてから、今年で790年を数える。
 父母をはじめ、多くの人々を救うために修学を続けられた大聖人は、32歳で立宗宣言され、以来、生涯にわたって広宣流布の歩みを続けられた。その奥底に流れていたのは、悲惨と不幸を取り除かずにはいられないとの大慈悲であられた。
 当時も人々が求めていたのは、何があっても崩れざる幸福である。
 大聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)と仰せである。「蔵の財」とは金銭やモノなどの財産。「身の財」とは体のことであり、肉体的な健康や、自身の身につけた技能なども含まれる。そして「心の財」とは、いかなる試練にも負けない生命の強さや輝きを指す。
 「蔵の財」「身の財」が幸福をもたらす要素になることもある。しかし、それらは何かをきっかけに失うかもしれず、外界の変化に左右されざるを得ない。
 一方で、「心の財」は自身の内なる財産であり、外界の変化に左右されない。心が負けない限り、人はどんな苦しい状況も必ず打開していくことができる。「心の財」こそ幸福の根本であることを、大聖人は教えられているのである。
 大聖人の広宣流布の闘争は、大難に次ぐ大難であられた。しかし、大難と勇敢に戦う中で、大聖人は鎌倉・竜の口で御本仏の境涯を開かれた。その直後の佐渡流罪では、寒さに身を責められ、食料も衣類も乏しい逆境にあって、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)と厳然と記された。真の幸福とは環境にも決して左右されないことを、御自身の姿をもって示されたのである。
 大聖人は、先ほどの「蔵の財よりも〜」の仰せに続けて、「此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」と御教示されている。この手紙を読まれた後は「心の財」を積んでいきなさい、との意味である。
 幸福とは突き詰めれば、自身の胸中にある。わが生命に“幸福の宮殿”を築いてこそ、最極の人生となるのである。  (「社説」 聖教新聞 2012-02-15)